吉田好克
私は、『時事評論石川』(北潮社)に平成十年(一九九八)以来、署名コラムを合計二十本、筆名「白刃」で三十本、「梓弓」で四十一本を書かせて頂いたのだが、このミニコミ紙の雄が、残念なことに令和七年三月に休刊(事実上の廃刊)となつてしまつた。
その後も書き続けたかつたが、今どき、歴史的仮名遣を墨守する無名の書き手に自由に書かせてくれる場所は無く、発表する当ての無いままに拙文を綴り続けることにした。ただし、せめて友人知人らには読んで貰ひたくて、八十名ほどの人たちにはメール配信といふ形で毎回送り続けた。「蟷螂の斧」シリーズがそれである。
さうかうするうちに、福岡在住の河津一郎氏から「限られた読者だけでは勿体ない」ので、サイトを作り、誰でもアクセスできる方法でネット上に残したい、ついては、その技術的作業は自分がするといふ、この上無く有難ひお申し出を頂いたのだ。まさにこの世は「捨てる神あれば拾ふ神あり」だと思つた。かくして、このやうなサイトを開設することになつた次第である。無論、文責は総て私にある。
読者の便のために、以下、ここに収められてゐる三種類の文章群について若干の説明をしておきたい。
右に触れた、署名コラムのうち十本は、既に拙著『言問ふ葦――私はなぜ反「左翼」なのか』高木書房、平成二十八年)に収録し、「白刃」名義の三十本は『続・言問ふ葦――「常識」を取り戻すために』(高木書房、令和三年)に収録した。
その後、「梓弓」名義のコラム四十一本と署名コラム十一本は一本を除いて『時事評論石川』に掲載されたものである。「梓弓」として巻末のコラムを連載してゐた同じ時期に、年に二、三回程度、編集部から署名記事をとの注文であつた。
「自国の文化と秩序を保持せよ」の一本だけは、神戸市の葛目浩一氏が隔月で発行してゐる「アイデンティティ」紙に掲載されたものである。
今回再録するにあたり、時事的な評論は「生もの」であることに鑑み、あまり手を加へず、肩書なども当時のままとした。これらの署名記事十一本については、便宜上、このサイトでは総タイトルとして「鱓(ごまめ)の歯ぎしり」と命名しておく。
もう一つの「蟷螂の斧」シリーズであるが、これはまだ活字になつてはゐない。総タイトルの「蟷螂の斧」は「蟷螂が斧を取りて隆車に向かふ」の短縮表現である。カマキリが前足を振り上げて大きな車に立ち向かふやうに、弱者が身の程を弁へずに強者に歯向かふ図を言ひ表したものである。
河津氏の認識も同様だが、我が国には反日であることを存在理由とするやうなマスメディアによる報道、と言ふより「虚報」が跋扈してゐる。しかし、私なりの読書、情報収集により、多くの場合、「それは違ふ!」といふ思ひを抑へることができず、非力ながら拙文を通じてその思ひを広めようとして来たわけである。だが、そもそも私にはオリジナルな「思想」の如きものは無い。
吉田松陰は従弟の玉木彦介の元服の祝ひに送つた武士の心得「士規七則」にかう書いてゐる。「知る所ありて言はざる能(あた)はざるは、人の至情なり。古人これを古に言ひ、今吾これを今に言ふ。亦何ぞ痛(いた)まん、士規七則を作る。然れども、これ吾が言に非ざるなり。故に聖言賢語、類に触れて援引し、以て其の義を証す」と(書き下し文は、所功『「成人」とは何か――吉田松陰の『士規七則』に学ぶ「成人」の要件』國民會館に倣つた)。
つまり、知つてしまつたことを言はずにゐのは難しいもので、ここに纏めた文章は、私が勝手に言つてゐのではなく、古(いにしへ)の聖賢たちが言つてをられることを援引(引用)してゐるだけである、と松陰は言ふのである。
松陰の謙虚になぞらへる気は毛頭無いけれども、私もまた、かつての聖賢たちの言葉を読んで影響されてをり、それはしばしば引用といふ形を取る。けれども、それらの引用に意味を認めてゐるのは私なのだから、実は自分を読んでゐるのだらう。パスカルもまた、「モンテーニュの中に私が読み取るものは、すべて私自身が見出してゐるものである」と書き遺してゐて(『パンセ』)、読書とはさういふものなのかも知れない。
しかし、その自分を支へる最後の砦は「常識」である。稀代の思想家、福田恆存(一九一二―一九九四)は常識の大事を主張し、こんなことを書いてゐる。「職人は手のこんだ仕事をするとき、あらかじめ寸法を出さずに『物に教はつてゆかう』と言ふ。常識とは現実に従ひ、現実に教へられる考へ方であり、生き方である」と(「常識に還れ」)。
我々はやみくもに現実の適不適を判断するのではなく、先づは現実に従ひ、学ぶといふことが何よりも大事なのではなからうか。「さうすれば、その向うに何があるか、また何がないか、現実の姿がはつきりと見えてくるだらう」と福田は結語してゐる(同)。これを本サイトの本旨としたい。〈了〉





