九月十三日、沖縄の県知事選挙の投開票が行なはれ、結果は周知の通り、保守系新人の古謝玄太が圧勝した。投票時間終了直後に当選が確定する所謂「ゼロ打ち」での圧勝だつた。保守陣営が十二年ぶりに県政の舵取りをすることになつたわけで、本土と沖縄との間に吹く風も、時化から凪へと変はる可能性が出て来たのではないか。古謝新知事には中央政府とただ敵対するのではなく、言ふべきは言ひ、聴くべきは聴くといふ情理を尽くした
是々非々主義で政治を行つてもらひたい。
敗れた現職玉城デニーは「反基地」「反辺野古基地移設」を旗印に、それを支援する自称「オール沖縄」といふ反米親中の極左と言つて良い政治勢力によつて強力に支持されて来たのだが、さすがに「反基地」を掲げてゐれば票が集まるといふ時代ではなくなつたといふことであらう。それに、SNSが発達し、「沖縄タイムス」と「琉球新報」といふ地元の左翼新聞が垂れ流す情報とは全く異なる情報を入手できる、特に「Z世代」の得票率が極めて高かつたことが選挙結果に大きく影響したと言へさうだ。

先の大戦で唯一本土決戦の場となつた沖縄が大きな犠牲を被つたことは多くの日本人が知つてゐる。そして、戦後、二十七年間にわたり米国の施政権下に置かれ、基地の拡大による土地の接収や米兵による犯罪・事故、米国政府との摩擦など、様々な苦難を強いられて来た歴史が存在することも知つてゐる。そして、戦後ずつと経済不振が続き、一人当たりの県民所得も我が国で最低水準であることも。だから、昭和四十七年に祖国復帰を果たしたにも拘はらず、自分たちが「貧乏くじ」を引かされたと思ふ沖縄県人がゐても不思議はない。
けれども、沖縄が戦場となつたのは地政学的理由からであり、そこを戦場にしたのは米軍である。その結果として、米軍が沖縄本島に上陸して以後、日本軍の戦死者は沖縄県出身者を除いて約六万五千人に上り、沖縄防衛のために二千八百人以上の特攻隊員も散華した。鹿児島県徳之島沖で撃沈されたかの戦艦大和と六隻の艦艇も沖縄に向かふ途中であり、約三千七百人の死者を数へたのだつた。勿論、だからと言つて、「島民の四人に一人」、約九万四千名が亡くなつたことを軽視するのでは全くない。ただ、「沖縄は捨て石にされた」と一部で喧伝されて来たことを訝つてゐるだけである。
だが、さういふ歴史的経緯とは別のところで、本土と沖縄との間に容易に打ち破れない見えない壁が復帰後ずつと作られて来たことも事実ではなからうか。
その「壁」とは、一つには「本土の新聞とテレビと出版社」が定着させた「戦争と基地のかわいそうな島」といふイメージであり(大久保潤・篠原章『沖縄の不都合な真実』新潮選書)、それが本土の日本人に何かしら後ろめたさ、或いは引け目を感じさせる因子となつてゐる。もう一つは、反米・親中・反自衛隊のイデオローグたちが作つた「沖縄は捨て石にされた」「沖縄は割を食つてゐる」といイメージである。これは一部の沖縄の人々にではあるが、本土に対するルサンチマンを根付かせる機能を持つ。
率直に言へば、私は沖縄があまり好きではない、と言ふより、沖縄に行きたいとあまり思はない。沖縄の海の美しさ、或いは「食」や言葉(方言)を含む個性的な文化などに魅力を感じるのだが、今一つ旅先として選ぶ気にならない。右の反米・親中・反自衛隊の勢力、或いは辺野古基地移設反対勢力などの横暴、そして彼らの政治的スローガンの類が目に入ると不愉快になり、せつかくの旅情が台無しになること必定だからである。

玉城デニーの県政は、ひたすら基地縮小を訴へ、国全体に及ぶ国防問題を無視するといふ、言はば「木を見て森を見ず」の県政だつたが、見方を変へれば「共産主義革命」といふ「森」だけは見てゐたのではないか。その所為であらう、本土ではあまり見聞きしないやうな異常な政治運動が平然と行はれて来た。また、「琉球独立論」などといふ完全に中共を発信源とする奇妙な言説も目にするやうになつた。そもそも「琉球」は支那側の呼び名である。また、諸研究により、「言語、信仰、文化、遺伝子の全てが一致」してゐるのだから、「沖縄の人たちが日本人であることは明らかであり、既に決着はついた」のである(仲村覚『狙われた沖縄』ハート出版)。
辺野古では、本年三月十六日、同志社国際高校の武石知華さんが、修学旅行でのプログラム「平和教育」といふ名の下、抗議船とは知らずに乗せられたボートが転覆して不運にも亡くなつた事故があつた。彼女の尊い命を奪つた直接の「犯人」は、本稿第十七回で日本基督教団やミッション系スクールの左傾化と構造的に連携してゐると論じた「辺野古反ヘリ基地協議会」(日本共産党もその構成員であると田村智子委員長も認めてゐる)であり、玉城知事とは互ひに持ちつ持たれつの関係であつた。
それから、かういふこともあつた。令和六年六月、辺野古埋め立て用の土砂を運ぶダンプカーの前に抗議活動中の女性が飛び出し、彼女を制止しようとした警備員がこれまた不運にもダンプに撥ねられて死亡した。
また、活動家たちは、米軍基地の辺野古移転への抗議のために国道脇に小屋を建ててゐるが、これは長年にわたる公有地の不法占拠である。その撤去を求める張り紙をして歩く県の職員を取り囲んで恫喝したり、顔写真を撮り、挙句は家族の名前なども調べ上げて脅迫するといつた、法治国家にあるまじき乱暴狼藉を働いてゐるのも彼らである。その際の動画が頻繁にSNS上で見ることが出来た。沖縄県警は何をしてゐたのだらうか。
そして、最大の問題は、これらの一連の事件を「産経」新聞以外の活字媒体はほとんど伝へなかつたことである。地元の「沖縄タイムス」も「琉球新報」も極左新聞なので推して知るべしであり、在京・在阪のテレビ局も同様である(知事選終了後にテレビは急に抗議船転覆の事件を伝へ始めた。半年もの間沈黙してゐたのは、この報道が玉城デニー側に不利になることを恐れたためで、メディアのもはや報道機関とは呼べないこの左翼体質には「腸が煮えくり返る」以外の言葉が出て来ない)。
「叩頭外交」といふ言葉がある。ふつうは中共や韓国に対する、頭を地べたにこすりつけるやうに行ふ謝罪外交を言ふが、歴代の政府は沖縄に対しても中韓に対するのとほぼ同様の態度を取つて来たのではないか。つまり、基地を巡る不手際があれば、しつかりと調査することなく、とにもかくにも謝罪して穏便にすませようとし、一方沖縄側も、さういふ政府に対して自分たちは被害者であると強調することにより、何かしら実利を得ようとする「補助金依存型経済体質」(前掲書)があるやうだ。
平成二十三年(二〇一一)、かつて沖縄総領事も務め、当時は米国国務省東アジア・太平洋局日本部長だつたケビン・メアがワシントンD.C.にあるアメリカン大学で「日本人は合意を求めるふりをし、できるだけ多くの金を得ようとする。沖縄人は日本政府に対するごまかしとゆすりの名人だ」と述べたとされて、大きな騒動となつたことがあつた。情報の出所は学生たちのノートであり、本人は発言を否定したので真相は藪の中としか言へないが、米国の官僚がさう感じたとしても不思議ではないと思はれる。勿論この場合、沖縄側にだけ落度があつたわけではなく、歴代政府も沖縄に対して腫れ物に触るやうな弥縫策を採つて来たことも大きな原因である。
さらに驚いたことに、このやうなことは、実は沖縄だけでなく北海道でも起きてゐるのである。「アイヌ民族は日本の先住民」だとか、「強制移住させられた」とかの虚偽の言説が載つた『アイヌ民族:歴史と現在』なる副読本が、国土交通省によつて作成され、文科省の検定を受けないまま北海道の教育現場で用ゐられてゐるのを読者は知つてゐるだらうか。この副読本を『斬る』(展転社)と題して一書をものした医師、的場光昭によれば、この副読本全体が中共と北朝鮮の政治的プロパガンダに深く影響されてゐるのである。そして、令和元年(二〇一九)に問題の多い「アイヌ新法」が制定され、翌年には政府、文化庁、国交省の肝煎りで二百億円を投じて民族共生象徴空間なる「ウポポイ」(一種の記念館)が作られた。ここは、アイヌとは何の関係もない「木彫りの熊」や包丁メーカーとして有名な「貝印」の製品が展示されてゐるといふデタラメぶりである(今もさうなのかは分からないが)。

的場は書いてゐる。「私が最も懸念するのは、南京大虐殺や朝鮮人強制連行同様に、過去もそして現在もアイヌ差別などなかったにもかかわらず、アイヌ団体が声高に差別を言い募り、差別利権を貪り続ける実態が明らかになった時、現在中国や韓国・北朝鮮そして在日朝鮮人へ向けられている反感と同じように、アイヌおよびその関係者に対する反感が増幅し、将来においてアイヌ差別が現実のものになりはしないかということなのです」。
日本列島の北と南の果てで、結果的に本土との分断や反目を煽る同種のことが行はれてゐるのだ。「アイヌ新法と琉球独立工作は繋がっている」と言はれる所以である(仲村、前掲書)。
右の引用から、的場がただ批判のための批判をしてゐるのではないことは明らかであらう。上掲の大久保・篠原も仲村さうである。皆、本土と地方の分断・反目を、それも中京や北朝鮮などに地元民が使嗾され、それをさらに拡大してゆく政治勢力の強大化を、心底から憂慮してゐるのである。それぞれの文化を愛してゐるのは文章を読めば分かる。
このやうな事態を打開しようと動いてゐる政治家も――多くはないだらうが――ゐると思はれる。けれども、やはりマスメディアが取り上げない限り、多くの国民の知るところとはならない。「事実があるから報道があるのではない。報道があるから事実があるのだ」(山本夏彦『かいつまんで言う』中公文庫)。北朝鮮による拉致問題がいい例だ。「産経」だけでは限界があらう。「社会の木鐸」といふ自負があるのならば、大手メディアは正気に返り、勇気を持つて日本国内の病巣を剔抉して欲しいものだ。<了>(敬称略)(令和八年九月二十五日)

【追記】
本稿脱稿直後に『月刊Hanada』十一月号が届いた。すると、そこには「辺野古反対運動は目的ではなく、差別されている先住民族を国連にアピールするための演出に過ぎない」と言ふ驚くべき論文が掲載されてゐた。そしてもう一つ、「国防・領土問題は尖閣諸島が表面であるとすれば、裏面にあるのは沖縄先住民問題」であるとするこれまた驚くべき論文が載つてゐる。両者共通の問題意識によつて書かれた警世の論文二篇である。
私が「日本国内の病巣」なんぞと書いてゐる間に、問題の舞台は既にジュネーブやニューヨークに移りつつあるのかも知れぬ。執筆者は前者が㈳日本沖縄政策研究フォーラム理事長の仲村覚、後者が沖縄問題ジャーナリストの吉岡綾子である。玉城デニーがらみの文章を吉岡論文から引用しておく。「沖縄の人々が抑圧を受ける〈先住民族〉であり保護されるべき対象なのだと主張しているのは、玉城デニー知事を担いでいる琉球独立派の面々です。彼らの大半は沖縄に居住しておらず、日本語を母語としない人々です。そして、その背後には、沖縄を狙う大国の影が見え隠れしています」。我々は最後の一行を銘記するべきである。我々が暖気に「日中友好」などと口にしてゐる間に、あの国による「国防認知戦」は着々と橋頭保を築いてゐのである。















コメント