十月十六日、参院の予算委員会で立憲の辻元清美が高市早苗首相の三十一年前の発言を引用し、考へは変はらないかと、例によつてこれ見よがしな口調で質問した(それにしても、国会質疑で「あのね」を連発する辻元の幼稚な言語感覚は非難されて然るべきである)。
その発言とは、平成七年、社会党や新進党が中心となつて「戦後五十年謝罪・不戦決議」(【追記】①参照)が論議された際――結局、この決議は同年六月九日に国会で可決された――、新進党(当時)の衆議院議員だつた高市早苗が外務委員会において、「私は戦争当事者とは言へない世代だから反省なんかしてゐない。反省を求められるいはれもない」とした、今から見れば相当に思ひ切つた発言のことである。
辻元が何のためにこの質問をしたのか今一つ明確ではないが、どうやら同年の八月十五日に当時の村山富市首相が出した所謂「村山談話」を「受け継ぐ」のか否かを問ひ質したかつたらしい。首相が「〔自分も〕日々成長してゐる」からと言葉を濁しつつも、最後に「歴代内閣の立場を継承する」と答へたことで、それ以上の議論にはならなかつた。ただし、この「歴代内閣の立場」には、子々孫々に謝罪を続ける宿命を背負はせてはならないとした安倍首相の「戦後七十年談話」も含まれるから、高市はそのやうに言つたのであらう。村山談話を肯定するつもりが無いことは表情から読み取れたが、今はその議論をする時ではないと判断したのではなかつたか(保守派に評判の良かつた安倍談話もまた、大きな欠陥を蔵してゐると私は批判したことがある。拙著『続・事問ふ葦』参照)。
それにしても、村山談話はひどい代物だつたと思ふ。「過ちを二度と繰り返さない」「戦争の悲惨さ」「唯一の被爆国」「核兵器の究極の廃絶」など、その後多くの政治家が口にする軽薄極まるステレオタイプを作り上げたが、中でも究極の謬見は以下の件(くだり)である。
「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」。
これは我が国の当時の歴史の全否定であり、実に一方的な見方である。戦争には相手がゐて、その相手がどのやうな行動を取つたのかを全く視野に入れない立論であり、石破茂の「戦後八十年所感」と同様である。生徒同士の喧嘩の仲裁に入つた教師が片方の言ひ分しか聴取せず、もう片方を断罪するやうなものだ。このやうな石破の「独り相撲史観」については本シリーズ第七回「独り善がりの宰相」で縷々批判し、理由も書いたので参照して頂きたいが、それはともかく、村山談話以降、石破所感までの三十年間の日本経済の落ち込みは、日本人に改めて「贖罪意識」を持たせた村山談話と無関係ではないのではないかと私はずつと思つてゐる。国民の誇りを大きく毀損したからである。村山談話は「方向性を誤り、日本国民を経済的存亡の危機に陥れ、多大の損害と苦痛を与へた」と茶化したい気さへする。
さらに「村山談話」の存在は、昭和五十七年(一九八二)の「教科書誤報事件」(教科書検定で「侵略」を「進出」と書き替へさせられたといふ「産経」も含む各新聞社の誤報事件)に端を発して、教科書検定基準に入り込んだ所謂「近隣諸国条項」(「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」といふ愚かな規定)が今なほ廃止されないことの理由の一つでもあると思はれる。この条項により、中共、韓国、北朝鮮に対する叩頭外交の度合ひが一段と強くなり、気が付けば、特に中共の「超限戦」(通常戦、外交戦、国家テロ戦、諜報戦、金融戦、ネットワーク戦、法律戦、心理戦、メディア戦などの総合的覇権手段)を前にして、選良から一般国民までなす術もないといふ有様である(【追記】②参照)。

批判を覚悟で言へば、三十一年前の高市発言を私は支持するし、さらには「戦争当事者」も同様であると考へる。何となれば、一つには、キリスト教で言ふ「原罪」のやうに、総ての人間(この場合は日本人)が生まれながらに罪を背負つてゐると考へるのは無理であり、二つには、対外侵略を繰り返したルイ十四世やナポレオンを生んだフランスはヨーロッパ各国に謝罪し続けるべきとは思はないから。また、三つには、アメリカは我が国に原子爆弾を二度に亙り投下し、それ以前に、B29爆撃機三四四機による「東京大空襲」でも一晩で十万人を焼死せしめた。これらについて、米国は一度も謝罪してゐないが、例へば、戦後生まれの米国人に、これらのことを「反省」すると言はれても、むしろそこに「偽善」か別の意図を見てしまふであらうから。四つには、ペリー来航から一九四五年の敗戦に至る歴史の見方が、私と彼ら(村山・石破・左翼言論人)では根本的に異なるからである(これも本シリーズ第七回を参照されたい)。
歴史は客体なのではなく、そこには「解釈」が入り込む「物語」(西洋語では歴史=物語)であるから、誰が物語るかによつて歴史は異なつた相貌を表すのである。歴史上の同一人物でも、その生涯を描く作家によつて人物像が大きく異なることは誰でも知つてゐよう。

それに何より、今さら強調するまでもないが、我が国は昭和二十六年にサンフランシスコ講和条約を締結後、賠償、無償供与、借款、等々、各種の請求事項を誠実に履行し、昭和五十二年までに総ての支払ひ(総額で一兆円を超す)を完了してゐるし、一千名を超える人命を差し出してゐるのである。一方、右の講和条約に調印しなかつた中国やインドは我が国と平和条約を結んで対日賠償請求を放棄したし、インドネシアは平和条約と賠償協定を結んだのだ。日本政府が「国家間の補償問題はすべて解決済み」だとしてゐるのは、法治国家である限り至極当然のことである。
このやうに言つてもなほ「アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」といふ言葉に後ろめたさを感じる読者には、ペリー来航以降の歴史と、進駐軍によるWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)、即ち、「戦争罪悪感教育計画=戦争の罪悪感を日本人に植ゑ付けるための教育計画」について、一度、しつかりと勉強することを勧めたい(【追記】③に参考文献を提示)。
小林秀雄が戦後すぐの文学者たちの座談会で、「この大戦争は一部の人達の無智と野心とから起こつたか、それさへなければ、起こらなかつたか。(略)僕は歴史の必然性といふものをもつと恐ろしいものと考へてゐる。僕は馬鹿だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじやないか」と言ひ放つたことはよく知られてゐる。このことについて、独文学者で中央大学教授だつた松本道介(一九三五―二〇一七)は、「私は小林の言葉がこの上なく当然な常識論だと思われてならない」と言ひ、その理由を次のやうに書いてゐる。「無智であろうとなかろうと、戦争を反省することなど出来る筈がない。反省というのは選択肢あっての反省である。過去にああすることも出来た、こうすることもできたという選択肢があってこそ、ああすべきだった、こうすべきだったという反省が可能になるが、(略)何をどう反省すればよいのか、反省することなどこれっぽちもないではないか」と。
そして、当時の日本を取り巻く国際情勢に触れ、我が国が独立を保たうとすれば「脱亜入欧」を、即ち、欧米列強への仲間入りを目指すしかなく、それは覇権国家の生存競争に否応なく巻き込まれることを意味し、戦端を開くに至つたことはほとんど運命であり、「運命とは選択出来ないから運命なのであり、運命を反省することは出来ない」と指摘してゐる(『視点』巴書房)。
右の小林の言葉に続く松本の文章は何度か引用してゐるので恐縮だが、簡明な言葉で見事にあの当時の歴史を捉へてゐて、多くの読者に知つて欲しいと思つて何度目かの引用を敢へてした。歴史といふものは「今」の観点から見るのではなく、当時の人間の視点に立つことが肝要なのである。さうすれば、安易に「戦争責任」や「反省」など論じることの虚しさを痛感するであらう。〈了〉(敬称略)(令和八年十月二十日)

【追記】
①この「戦後五十年謝罪・不戦決議」については思ひ出があるので、少しく私事を書くのをお赦し頂きたい。
社会党や新進党がこの決議を画策し始めた頃、【追記】③で参考文献にも登場する中村粲獨協大学教授(平成二十二年六月逝去)が『月曜評論』紙上で「保守派の総反撃の必要性」(大意)を訴へられ、その呼びかけに対して、私は「自分にもその用意がある」といふ内容の葉書を編集部宛に出したのだつた。地下鉄などの優先席に「傷痍軍人に席を譲るべし」と書いてある(この点ではまともな国)フランスでの留学から戻つた後だつたので、こんなことでは祖国が駄目になるといふ危機感が余計に強かつたのだと思はれる。すると、当時の中澤茂和編集長から電話があり、執筆の依頼を受けたのである。そこから『月曜評論』との縁が始まり、その廃刊後は『時事評論石川』へと舞台が移り、今日に至つたわけである。この一連の出来事が無ければ、私は社会・政治評論を書き始めることは無かつたのではないかと思ふ。その意味では、「不戦決議」は私を「左翼との開戦」に導き、人生を大きく左右した出来事であつた。
②本稿を脱稿しようとしてゐたまさに本日(十月二十日)の「産経新聞」の正論欄に、麗澤大学特任教授にして「北朝鮮に拉致された日本人を救出する全国協議会」会長の西岡力氏が「安全保障問題になった歴史認識」といふ一文を寄稿してゐた。氏によれば、「日中間の認知戦の重要部分が歴史認識問題となった」のである。つまり、中共がロシアと手を組み過去の歴史問題を持ち出すことにより(「非人道的な侵略の歴史」云々)、我が国の国防力増強に足枷を嵌めようとしてゐるといふことだ。「認知戦」とは、敵国を内側から分断・自滅させる目的で、集団レベルでの認知に影響を与へる戦略のことである。
このやうに考へると、福田恆存が昭和三十一年(筆者の生年)に「戦争責任」について書いた文章を私は思ひ起こしてしまふ。福田は次のやうに書いてゐる。
「『戦争責任』論は特定の個人〔村山・石破など〕の情熱によつて利用されるか、さもなければ、民主戦線〔中共などの外圧〕のために利用されるか、そのどちらかであつて、けつして責任が責任として追及されることはないといへませう」(「戦争責任といふこと」『全集』第四巻、文藝春秋。〔 〕内は吉田の補足)。
③(参考文献)
・『大東亜戦争はなぜ起こったのか』(中村粲著、日本政策研究センター)
・『「韓国併合」とは何だったのか』(中村粲著、日本政策研究センター)
※中村粲氏の著書は本来なら畢生の大著『大東亜戦争への道』(展転社)を挙げたいところだが、A五判で六百六十頁、しかも全篇が正仮名正漢字で書かれてゐて、さすがに若い読者には勧めにくいのでここでは簡便なものを挙げた。右の名著は「史実を世界に発信する会」(会長・茂木弘道氏)が英文完訳に取り組み、現代表記によるダイジェストも定期的に出してゐる。ご関心の向きは、http://hassin.org で情報を得られるであらう。
・『日本人を狂わせた洗脳工作(WGIP)』(関野通夫著、自由社ブックレット①)
・『いまなお蔓延るWGIPの嘘』(関野通夫著、自由社ブックレット⑥)
・『戦争を仕掛けた中国になぜ謝らなければならないのだ!』(茂木弘道著、自由社ブックレット③)
・『日本人はなぜ自虐的になったのか――占領とWGIP』(有馬哲夫著、新潮選書)
・『日本の戦争――あのときなぜ戦ったのか』(皿木喜久著、産経新聞社)
・『パール判事の日本無罪論』(田中正明著、小学館文庫)
・『ペリー来航』(西川武臣著、中公新書)
・『国史教科書(中学社会用)』市販版(竹田恒泰他著、令和書房)
※中学社会用とあるが、四百六十頁を超える堂々たる著作で、大人でも十分に読むに値する内容である。類書には無い詳細な描写が多く、我が国の歴史に対する愛情を感じることができる。ペリー来航以降の我が国の動き、西洋列強や中共の動きなどを比較的簡便におさらいするには格好の教科書である。















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