安倍元首相の国葬儀で岸田首相と菅前首相が、衆院本会議で野田元首相が、それぞれ追悼の辞を述べた。以下、これらの弔辞を改めて読んでみての感想である(紙幅の都合で、引用は文意を曲げずに修正した個所がある)。
先づは岸田首相。拉致問題に触れて、「被害者の救出に全力を尽くす所存である」は実に疑はしい。この表現は陳腐な常套句に過ぎず、実際、ご家族が切望してゐる今後の対策の「工程表」も一度も示したことが無い。また、「日本外交に一意専心取り組めた」と外務大臣時代を自讃してゐるが、十億円の賠償金付きであの益体も無い「日韓慰安婦合意」を結んだのは岸田ではなかつたか。さらに、安倍氏は最長政権だつたが、「その長さよりも、達成した事績により歴史が記憶する」と言つてゐる。同感だが、それなら国葬儀反対論に対して、なぜこれを後回しにし、先に「憲政史上最長」を繰り返し強調したのか。「ブレる」のが得意な岸田らしい話だ。
次に菅前首相である。事件後すぐに奈良に行き故人と対面した際、「最後の一瞬に温かな微笑みに接することが出来た」と言ふ。が、銃撃されてすぐに心肺停止となり、そのまま亡くなつた安倍氏が最後に微笑んだといふのは信じられない。どうも菅は大袈裟な表現が好きらしい。
また、「前進してこそ活路が開けると思つてゐた安倍総理の判断はいつも正しかつた」と言ふが、本当か。安倍首相の「加憲」案はそれまで盛り上がりを見せてゐた改憲論議の熱を冷ましてしまつたのではないかと小欄は見てゐる(勿論、他の多くの功績は認められるべきであるが)。
一つだけ心に残つた個所は、「苦楽を共にした七年八カ月。私は本当に幸せでした」といふところであらうか。菅は昨年の全国戦没者追悼式で「世界の誰もが」とか「世界が直面する課題」とか大風呂敷を広げてゐたのに対し、この真率な言葉は好感が持てた。
野田元首相の追悼演説は保守派の学識者や評論家たちにも頗る好評であつたが、小欄は天邪鬼なのか、あまり感心しなかつた。「戦ふ政治家」とか「心優しい気遣ひの人」と散々持ち上げておいてから、「その上で申し上げたい」とし、「あなたがこの国に遺したものは何だつたのか。さうした問ひだけが宙ぶらりんのまま日本中にこだましてゐる」とは一体何のことか。「遺したもの」を理解してゐたからこそ炎天下に六キロもの献花の行列が出来、デジタル献花も五十二万余を数へたのではないか。「問ひ続けなければならない」とした理由が「暴力の狂気に打ち勝つ力は言葉だけ」といふのは論旨が混濁してゐる。どこがそんなに良いのか小欄には分からない。(令和四年十二月号)














