八月十六日、米国トランプ政権が「国際刑事裁判所(ICC)」の赤根智子所長に対して制裁を科すことを決めた。筆者は「国際司法裁判所(ICJ)」のことは多少知つてゐたが、この裁判所のことは恥づかしながら知らなかつた。だから、赤根智子が制裁決定の十日後にオンライン記者会見を開いたところ、制裁撤回を求める署名が二ヵ月近くの間に十七万筆以上集まつたと聞いて驚いたものである。
このトランプ政権による制裁について日本のマスメディアはほとんどが否定的で、「赤根所長を守れ」といふ論調一色であつたが、さうなると、生来天邪鬼なのかひねくれ者なのか分からないが、「ちよつと待て」といふ注意信号が、私の頭の中で点滅するのである。
さうかうするうちに、「人権外交を超党派で考える議員連盟」が総会を開き、高市首相の「残念である」といふ談話の消極性を批判しながら「法の支配は日本外交の基軸で、安全保障の根幹である」と共同代表の中谷元前防衛省が声明を発表した。ただ、この総会には、石破茂、小池晃、船山康江、階猛、伊勢崎賢治、羽田次郎などが顔を揃へてをり、本来「呉越同舟」と言ふべきこの面々を見れば何かしら不純な動機――おそらくは高市政権潰し――があるだらうと察しが付く。また、以下論じるやうに、彼らが言ふほど「法の支配」は単純なものではないはずだ。
さう思つて調べてみると、やはり、信頼できる保守系言論人などからⅠCCといふ組織自体への批判と米国への理解を示す議論が多数出てゐることが分かつた。
ICCといふのは、「ローマ規定」に則り、二〇〇二年に創設され、二〇〇七年には日本も加盟した国際組織である(現在一二五ヵ国が加盟)。要は、戦争犯罪や人道に対する罪を犯した一国の指導者がゐた場合、その個人を裁くためのものである。

山上信吾といふ前オーストラリア大使がゐる。退官後はYouTubeなどの討論番組などに出演したり(自らの番組「外交官チャンネル」も持つてゐる)、新聞雑誌に寄稿したりと、積極的にその経験や知見を披露してゐる。如何にも大使然とした風体で、語り口も穏やか且つ雄弁であり、よほどの臍曲がりでない限り好印象を持つであらう。退官後はあまり表に出ない大使が多い中で、その保守派的見解と直言居士ぶりも含めて貴重な存在だと私は思つてゐる。
しかしながら、この度の「赤根ICC」問題についての彼の主張には釈然としないものがある。
山上は四月九日付け「産経新聞」の「正論」欄に「国際法至上主義の陥穽に嵌るな」と題した文章を寄稿して、次のやうに書いてゐる。あちこちで強硬な姿勢を見せ、場合によつては軍事力にものを言はせるが如きトランプ大統領の所業に対して、我が国では「国際法違反」「ロシアや中国だけを非難するのはダブルスタンダード」「日本政府も米国を非難すべきだ」との指摘が多くなされてゐるが、ロシアやイランなどと「十把一絡げに『国際法違反』の籠に入れるのは、あまりに乱暴な議論だ」と。
だが、山上は徒にトランプ政権を擁護してゐるのではなく、国際社会においては、「国際法違反は枚挙に暇がない」といふ現実認識から、大事なのは国際法だけでなく、「日本の国益に照らして是か非かという点だ」と明言する。イスラム原理主義政権の我が国への威嚇なども視野に入れつつ説いてゐるのである。言はば、「国内法の世界と違って強制的な執行力がない」国際法を相対化して見せたのだ。これには賛意を呈したい。

ところが、「赤根ICC」問題勃発後の九月二日付けの同じ「正論」欄において、「ICC赤根所長を日本は守れ」と意外なことを表明したのである。この寄稿文は、赤根擁護論を口にすることで保守派から「親中」だの「反米」だのと「心外かつ的外れな批判」を自分は受けてゐるが、「かつて外務省条約課長としてICCローマ規程への日本国の加入に際して国会審議、承認取り付けに当たった者として」この問題を論じるといふ趣向である。
山上によれば、このICCといふ組織は、東京裁判やニュルンベルク裁判などが「裁判とは名ばかりの復讐劇」だつたので、「これらの経験と反省に立ち、国際社会で史上初めての常設刑事裁判所として設立された」ものである。そして、それは「まさに『法の支配』の進展を具体化した」ものと山上は高く評価してをり(加盟推進に動いた元条約課長として当然と言へば当然だが)、それゆゑ、米国がICCや赤根所長に制裁を科すに至つたことは「『法の支配』を一顧だにしない中露と同列ではないか」と批判する。
しかし、米国にも言ひ分があるのではないか。つまり、ICCがアフガニスタンでの米軍関係者を訴追しようとしたり、イスラエルのネタニヤフ首相と国防大臣に逮捕状を発付したりする一方で、中国のチベット、ウイグル、南モンゴルに対する侵略、或いは人道に反する数多の罪を習近平に対して問ふことはしない。中国がICCに非加盟であるといふのが理由らしいが、アメリカもイスラエルも非加盟なのだから、「法の支配」もへちまも無い。
それに、「安保理の常任理事国たる中国が国際社会における責任を果たしていないとして強く批判し、加盟を促し続けるべきだ。さらに加盟国の領域内で行われる犯罪に対してはICCの管轄権が及ぶことに鑑み、情報と証拠を積み上げてICCの背中を押すことも大切だ」と異様なことを書く。中国がさう簡単に加盟するかは考へなくとも分かるし、後半は何を言つてゐるのか全く分からない。「加盟国の領域内で行われる犯罪」には「管轄権が及ぶ」と言ふが、中国は加盟国ではなく、最も酷い迫害を受けてゐるウイグルやチベットも勿論「加盟国」ではないのである。誰が「情報と証拠を積み上げてICCの背中を押す」のかも不明である。
さらに、我々日本人にとり極めて重要な北朝鮮による拉致問題でもICCが動かなかつたことは山上も認めてゐる。然るに、それをどう考へるかについて、「日本としてICCが管轄権を行使するよう強く働きかけるべきだ」と。しかし、北朝鮮も非加盟なのだから、ICCに「管轄権」は無いのである。それに、日本からの働きかけに対しては、拉致がICC発足より前のことだからと却下したのではなかつたか。頭脳明晰なはずの山上にしては珍しい単純な錯誤である。と言ふより、条約課長としてICCへの加入承認を率先して取り付けた自己弁護、もしくは我田引水のやうにも見える。それに、正直、この人にしてこの言ありか、と思はせる記述がさらに続く。「ICCもICJもトップは日本人だ。生き馬の目を抜く国際機関で粉骨砕身している同胞がいるのだ。平和で快適な日本で評定している暇があったら、飛び込んでほしいと切実に思う」と書いてゐる。あまりに感情的且つ突飛な主張であり、「飛び込んで」とは誰に向かつて言つてゐるのか、これも私には分からない。

そして、次は赤根の人物月旦だ。「筆者がお会いしたところ、右翼でも左翼でもない匠の法務省検事だ。日本の代表として風圧にめげることなく、背筋を伸ばし、身を粉にして貢献している。そんな同胞を、米国の制裁にかこつけてけなすとは、何ともさもしく血の通わない所作か」と、赤根に対する個人的な印象を綴つて大仰に嘆き、批判者を「さもしい」と切り捨てたわけで、これを読んだ読者の何割が納得するだらうか。私には出来ない。東大法学部の先輩に会釈したとしか思へないのである。
勿論、同じ日本人だから擁護しようといふ気持ちは私とて分からないではない。だが、赤根は二〇二四年十二月、BS-TBSのインタビュー番組でかう語つたさうである。「戦後世界の英知を集めてようやくできたICCが、少しずつでも法の支配のもとに裁かれるべき人は裁かれるという世界になっていくことを目指して……」と(長谷川幸洋「ICC擁護論の無責任と偽善」『月刊Hanada』十一月号)。ここでも、「法の支配」だ。しかし、中国、ロシア、北朝鮮、イランなどの独裁覇権国家は非加盟でICCの管轄権が及ばない、つまり制裁ができない現実に鑑みると、この言葉は、例へば、「(できないと分かつてゐるが)核廃絶を目指して……」とか「永遠平和はあり得ないが、あり得るやうに行為するべし」(カント)とかと同様の理想論もしくは白昼夢でしかなからうと思ふ。しかも、このやうな所長を戴く組織、もしくはそのやうな意向で動く組織に、日本は加盟国中最高の毎年四十五億円を拠出してゐるのである(だからこその、日本人所長なのではあるまいか)。この税金の使ひ方も議論の俎上に載せる必要があるだらう。しかも、中東の専門家である飯山陽(あかり)が、「〔ICCは〕徐々に反米的な人々に乗っ取られ、気が付いたら中国やロシア、イラン、北朝鮮寄りになってしまった。反イスラエル、反日的傾向も顕著」だと言ふやうな組織なのである(高山正之との対談「赤根所長守って国滅ぶ!?」『月刊WiLL』十一月号)。
ところで、日本はICCの加盟国であるから、仮にトランプ大統領に逮捕状が出てゐる時に来日した場合、我が国はトランプをICCに引き渡す義務を負ふのか。通常なら「然り」なのだが、実際には無い。これは上の長谷川論文に教はつたことだが、「日米地位協定」により、「米国は別扱ひ」となるのだ。これが、自国の安全保障を米国に大きく依存してゐる日本の実態なのである。さうなると、現実には強制執行力の無い「法の支配」を国家主権の上位に置いて、米国に対して「法の支配を守れ」と我々日本人が言ふのは、「良くて無責任、あるいは偽善と言われても仕方がない」(長谷川、同)のである。高市政権の反応はそのやうなことを総て承知の上での苦渋の表現ではなかつたか。それが嫌なら我が国も完全に独立せねばならないのだが、「法の支配」を唱へる者たちにその覚悟が果たしてあるのだらうか。〈了〉(敬称割愛) (令和八年十月十日)
















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