また新潮社がやらかした。「また」と言ふのは、七年前の『新潮45』(平成三十年八月号)が、杉田水脈衆議院議員(当時)の論文「『LGBT』への支援が過ぎる」を掲載したところ、非難が轟々と巻き起こり、十月号では「そんなにおかしいか『杉田水脈論文』」といふ杉田を擁護する論文七本を特集した。ところが、その中の小川榮太郎の挑発的な文章が火に油を注ぐ結果となり、当時の新潮社社長が遂にこの月刊誌を廃刊にしたのであつた。
私の見るところ、杉田論文は多少舌足らずのところがあつたが、全体的には正鵠を射てゐたし、小川論文も言葉の選択の適不適はともかく、これも内容的には正論だつた。彼ら保守系論者の言葉にリベラルたちはいきり立つたが、人間は痛い所を突かれると妙に大袈裟に腹を立てる振りをするものである。当の『新潮45』の編集長が、リベラルたちにも八月号への反論の寄稿を呼び掛けたが誰一人応じなかつた、「逃げた」のだとYouTubeの番組で明かしてゐたのがその証拠だ。つまり、リベラルたちは言論では対抗できずに、新潮社に執筆拒否や不買運動の示唆など何らかの圧力をかけたわけであらう。「言論には言論で」といふ常道を無視するのは左翼の通弊と言へる。
今回の騒動も似たやうなものだ。騒動の発端は、コラムニスト・評論家、高山正之の『週刊新潮』の連載コラム「変見自在」である。その第一一四四回目の「創始改名2・0」(七月三十一日号)が批判を浴び、抗議されるや新潮社は早速高山の連載を終了させることを決めた(歴史的事象としての「創始改名」については[追記]を参照されたい)。
『新潮45』のやうに廃刊としなかつたのは、歴史的にも売り上げ的にも新潮社の看板商品だからで、高山に詰め腹を切らせて一件落着としたかつたのだらう。高山の当該コラムは毎号グラビアを除いた最終頁に掲載されるので、彼は「週刊新潮を後ろから読ませる男」と言はれてゐたほどの人気コラムニストであり(私も後ろから読んだものだ)、好評だからこそ二十八年以上も続いたそのコラムを新潮社は終了させたわけで、各方面から相当に大きな圧力があつたのではなからうか。それとも、「人種差別」「人権侵害」「排外主義」などと非難されることは出版社として致命傷になりかねないといふ判断を新潮社の上層部がしたのだらうか。実際、「朝日」や「毎日」が何度も噛み付いてゐた(詳細は省くが、高山は「朝日」の誤報や嘘を何度も剔抉した、「朝日」にとり「恨み骨髄」の天敵のやうな存在なのである)。
「慰安婦の嘘もまだけじめをつけていないいい加減な新聞〔朝日新聞〕の言い草など気にしなければいいのにと言ったが、無駄だった。で、休載ではなく連載をやめると言った。新潮側はとてもうれしそうだった」と高山は後日、多少スパイスを効かせて書くことになる(「女流作家に屈服した週刊新潮」『WiLL』十月号)。「変見自在」はこれまで約一年分の連載を纏めては次々と単行本化され、その中の何冊かは文庫本にまでなつた。この人気を内心では誇つてゐただらうから、さぞや高山は悔しかつたに相違ないし、愛読者もがつかりしたであらう(尤も、高山には『月刊正論』や『THEMIS』などでの連載もあるし、『Will』にもしばしばお呼びがかかるので、物書きとして息の根を止められたわけではない)。
それはさて措き、もう少し問題のコラムに立ち入れば、高山の論点は三つである。一、日本への帰化手続きは極めて簡略で、アメリカのやうな「(国家への)忠誠の誓い」も不要。これでは、「日本を貶める外人を排除しきれない」といふ危惧の表明。二、熱海市の市長選に立候補しようとした徐浩予、東北大教授の明日香壽川(あすか・じゅせん)、作家の深沢潮、モデルの水原希子たちが日本名あるいは通名を使用して日本(人)批判を繰り返してゐるといふ指摘。三、「日本も嫌い、日本人の嫌いは勝手だが、ならばせめて日本名を使うな」といふ結語の痛烈な皮肉である。
私は、これら四名のうち、中国出身で日本語も不自由なくせに市長選に立候補するといふので話題になつた徐だけは名前に覚えがあつた。しかし、他の三名については全く知らなかつたので、YouTubeやネットでその発言を調べてみた。なるほど、高山が怒るわけである。ほとんどが為にする議論か個人的な経験からの感情論で日本或いは日本人を批判してゐるのだ。同じく感情論で日本批判を繰り返しては「炎上」するアンミカといふタレントの場合は、容姿も名前も如何にも出自は日本ではないと分かるし、本人もそれを隠さうとはしてゐないから、さうした人間の発言として聞く方も聞くからたいした弊害はない。パックンとかいふ米国出身のタレントも同様だ。
しかし、一般的に言つて、匿名での批判は(特別な場合を除いて)たいてい胡散臭いものであるが、日本名や通名を用ゐての批判は、恰も隠れ蓑のやうに見える場合があるので、高山はそこを問題視したのだ。「日本名で日本人をあたかも内部告発するような言い方は素直に聞けない。はっきり外人名で語るべきではないか」と高山は書いた
。なぜ「素直に聞けない」か。いづれも、出自が日本ではなく、または、血統が日本人でないのに、かなり偏向した日本批判をしてゐて、さうなると「内部告発」には聞こえないからだ。
特に明日香壽川は、高山によれば、「中国は地球温暖化対策の優等生」と「朝日」紙上に書いてゐるさうで、しばしば黒を白と言ひくるめる中共の報道官かと思はされる。これだけでも驚くが、さらに高山は、「論座アーカイブ」では、「国際政治学分野のアカデミックな論文で、米国、ロシア、オーストラリア、日本の四カ国を『気候変動交渉でのギャング・オブ・フォー(四人組)』と表現しているのを見たことがある」と書いてゐる。専門家らしからぬ表現にこれもまた驚かざるを得ない。「アカデミックな論文」で「見たことがある」と言ふが、出典情報が全く明記されてゐない。学部の卒業論文でも許されない手抜きであり、口頭試問があれば、「四人組に中国が入らないのはどういふ理由か」と訊かれるのは必定だ。これでよくも東北大学教授が務まるものである。肩書が有名大学教授なので信用は絶大だらうが、このやうな主張を知つた後で、日本生まれではあるが在日華僑であると知ると――しかも自身の公式ホームページでは公表されてゐない――、何やら疑問符が沸々と湧いて来ようといふものである。
深沢潮は現在は日本に帰化してゐるらしいが、もともと在日コリアンで日本人の差別意識についてしばしば批判して来たやうだ。水原希子は米国人と韓国人のハーフで、場合によりオードリー・希子・ダニエルといふ本名を使ひ分け、国籍は米国である。やはり、人名はその人を示す最重要の情報であるから、特に日本で日本批判を行ふ場合には旧名、通名の使用はデリケートな問題とならざるを得ないであらう。特に、事後に知ると、右の明日香の場合がさうであるやうに、評価が逆転することさへあるだらう。無論、日本批判は罷り成らぬと言ひたいのではない。だが、以前なら、在日華僑や在日コリアンが日本人や日本の文化を批判すれば、多くの日本人は阿諛曲従・付和雷同したかも知れないが、現在ではSNSなどを通じて中韓両国に対する評価が激変してゐて、日本人の視線は厳しくなつてゐる。
だから、日本に住んで日本批判をする際にはさういふ時代の変化に敏感であることが大事で、批判するならするで――特に多少とも公的な場面においては――ある種の覚悟が必要なのは当然ではなからうか。高山の「日本も嫌い、日本人も嫌いは勝手だが、せめて日本名を使うな」といふ結語は、苛立ちが過ぎるとしても、全体を読むと説得力がある。この際、「科学に国境はないが、学者には国籍がある」といふパストゥールの名言を思ひ出すのも無駄ではないだらう。
今回、高山のコラムで「日本人の差別意識を批判する」と名指しされた深沢潮は、すぐに「暴論を展開し、社会の差別感情を煽った」と新潮社に抗議をしたのだが、「暴論」に一定の定義はなく、「暴論」と思ふか否かは人による――さらに言へば国籍にもよる。また、「煽る」といふのは他人をしてある行動へと移るやうに唆すことである。高山の言葉を「差別感情を煽った」と評するのは針小棒大の極みだ。それに、そもそもコラムといふものはエッセイとは異なり、寸鉄人を刺すやうな言葉、皮肉、風刺、揶揄、冷笑(場合によつては朗笑)などを織り込み、その中からふだんは日の当たらぬ真実を浮かび上がらせる芸なのだ。高山はその技巧が優れてゐるから人気コラムニストなのであり、読む方にもそれなりの技術が要る。
それにしても、深沢はどうして新潮社にいきなり「謝罪」を要求したのか。先づは筆者たる高山個人に抗議をするべきではなかつたか。このやり方に強烈な違和感を持つたのは私だけではあるまい。また、どのやうな資格において、「信頼していたデビュー作品の版元の媒体に〔深沢への批判が〕載ったことは、私一人で済ませていい問題ではない」と告発したのか。まるで、出版社といふものはデビュー作品を刊行した以上、その作家を護る義務があるかのやうな言ひ種ではないか。彼女が新人作家としてデビューするさらに十五年以上前から連載し、三十冊以上書籍を出してゐる高山と新潮社との関係は、自分と同社との関係ほど重視されるべきではないと言ひたいのか。
その昔、安原顕といふ文芸雑誌の編集者が大江健三郎の作品をコラムで批判したことがあつた。すると、大江は反論はせずに安原の上司たる中央公論社社長に抗議の手紙を書き、「谷崎賞選考委員を辞める、中央公論社からの連絡を一切拒否する」と恫喝し、会社員たる安原を窮地に陥らせたが、まともな人間ならかういふことはしない。「左翼の通弊」と書いた所以である。
左翼と言へば、八月六日に開かれた記者会見には、在日韓国人三世の左翼活動家、辛淑玉(しん・すご)を司会者に複数の弁護士などが加はつてゐて、写真を見ればしたり顔の福島瑞穂までが写つてゐる。そして、その記事を左翼雑誌『創』の編集長、篠田博之がネットで拡散してゐる。「私一人で済ませていい問題ではない」と言ふのも予め極左・リベラル連中の庇護を期待してゐたからなのだらうか。それとも誰かに入れ知恵をされたのか。どちらにせよ、これでは明らかに政治活動であり、語るに落ちるとはこのことだ。作家であるなら、「レイシズム」だの「人権侵害」だのといつた出来合ひの言葉ではなく、自らの言葉で抗議をするべきだつた。しかも一人で。
しかし、そんな批判は糠に釘かも知れない。「週刊金曜日オンライン」(八月八日付)を覗いて知つたことだが、深沢の厚顔無恥が度外れてゐることが分かる。彼女が新潮社を相手に要求したことの中に、「深沢自身が自由に人選して、高山のコラムに対する批判・反論をするためのスペースを同誌に最低八頁の紙幅で提供すること」といふ一項がある。高山の一頁のコラムを複数の人間に八頁を使つて批判させろと言ふのだ。ふつうは同じ紙幅で反論するものだし、「自由に人選して」といふのはほとんど狂気の沙汰であらう。このやうな非常識と増上慢はどこから来るのだらうか。新潮社も舐められたものだと思ふ。
一方、新潮社がホームページに載せた「お詫びと今後について」もどうかしてゐる。冒頭に「書き手に寄り添い良い作品を共に生み出すことは私たちの重要な責務であると考えております」とある。「良い作品を共に生み出す」はともかく、一人前の作家に「寄り添う」といふ気色の悪い言葉はどういふことか。今の女流作家は皆、乳母日傘の温室育ちなのだらうか。
そして、最も噴飯物なのは、「今後は執筆の依頼をする時点および原稿を頂戴した時点で、必ず世論の変化や社会の要請について筆者に詳しくお伝えしていく所存でおります」といふ箇所である。作家や評論家は「世論の変化や社会の要請」に配慮しなければいけないのだらうか。社会の要請する公序良俗の保護者になるべきだと言ふのだらうか。違ふはずだ。そもそも「世論」が必ずしも正しいとは限らない。作家なり評論家なりは、さういつた「世論」や「常識」を疑ひ、ある種の「偏見」があるからこそモノを書くのではないか。そして、その「偏見」が仮に聴くべきところのあるものだとすれば、それは人々の心底にわだかまつてゐる沈黙の言葉を掬ひ上げてゐるからなのだ。読者が「読んでスカッとした」と感じるのはさういふ時である。
ともあれ、新潮社は高山のコラムについて当たり障りのない「お詫び」を提示し、当該コラムを終了としたことで(実際に八月二十八月号で高山のコラムは最終回となつた)、『新潮45』に続いて、自社が何ら信念のない出版社であることを満天下に知らしめることとなつた。そしてまた、ふだんは「表現の自由」を声高に主張する者たちが集団で批判すれば、気に入らない言論を封殺できるといふことにお墨付きを与へたのであつた。大出版社のくせに、その小心翼々の所為で我が国の言論空間に負の痕跡を残したと言へよう。(敬称略)〈了〉(令和七年九月七日)
【追記】
戦後の様々なプロパガンダにより、圧倒的に多くの同胞が事実とは異なることを教へ込まれ、それを信じてゐる歴史上の事象の一つに「創始改名」がある。
今回の騒動でも「朝日」は八月十一日の社説で「再び『名前』を奪うのか」と題し、「名前をめぐる差別は根深い。かつて日本は植民地支配した人々に日本式の名前を名乗らせ、心の内側まで統制しようとした」と書いた。如何にも「朝日」らしい嘘だが、実は多くの同胞が信じ込まされてゐるやうな「強制」はなかつたのである。以下、説明する。
一、「創氏」とは、それまで朝鮮半島にはなかつた「氏(うじ)」(=苗字・ファミリーネーム)を創ることである。半島にあつたのは、男系の血統を示す金、李、朴などの「姓」(族譜とも言つた)であり、家を単位とする「氏」はなかつた。
二、儒教の伝統により、「姓は変はらず(結婚しても同姓とはならない)、同姓は娶らず(結婚できない)、異姓は養はず(養子にできない)」が鉄則で、そのため、昭和五年時点で、朝鮮には全部で三百二十六しか姓がなかつた。これでは近代的な社会に対応できないといふことで、新たに戸籍を作り、氏制度(我々の言ふ苗字)を創らうとしたのが「創氏」である。一方、族譜はそのまま残し、戸籍にも記載され、例へば、族譜である「金」をそのまま苗字とした例も多かつたし、「金田」のやうに日本式にした例も多かつた。
三、実は満州事変以後、朝鮮人は満州でも支那でも日本名を名乗つてゐた(朝鮮人だと分かると支那人から差別されたから)。それと、「内鮮一体」(朝鮮人の李覚鐘が唱へた日本人と朝鮮人は一体とするスローガン)の意識が高まつたことによる創始改名といふ側面もあつた。一方、「改名」の方は任意であつた。
四、創氏は一律だつたので届け出用紙は無料だつたが、改名の方は手数料として五十銭の収入印紙を貼ることになつてゐた。改名は本人の希望なので有料だつたのだ。
五、昭和十五年二月十一日から八月十日までの期限に、八割以上の人々が創始改名を行なつた。
六、以上は決して強制ではなく、創始改名をしなかつた約二割の人たちは罰せられることもなかつた(罰則のない「強制」があるだらうか)。著名な洪思翊(こう・しよく)陸軍中将などは朝鮮名のまま栄進したし、他にもゐた。
七、この改革は姓も氏も持たない「奴婢階級」(人口の三割以上が該当)を解放する奴隷解放としての役割も果たした。総督府は「四民平等」といふ原則のもとに創始改名を進めたのである。
八、ただ、「創始改名」は朝鮮の人々の風習への配慮を欠いた一面があつたことは否めないかも知れない。が、日本側としては強制の意図は全くなかつたし、朝鮮の側にも日本人と一体化したいと願つた人々が多数ゐたといふことは歴史の事実として我々日本人は銘記するべきである。
【参考文献】
『日韓二〇〇〇年の真実』(名越二荒之助編著、国際企画)
『「韓国併合」とは何だったのか』(中村粲著、日本政策研究センター)
『「広辞苑」の罠――歪められた近現代史』(水野靖男、祥伝社新書)















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