高市早苗が総理総裁になつてからこの年末にかけて、何やら我が国が、我が同胞の表情が、明るくなつたやうな気がするのは筆者だけであらうか。前首相のあの不景気面――ルッキズムと批判する勿れ。顔の造作ではなく表情のことである――がテレビニュースに映らなくなつただけでも日々気分が良いが、それでだけではなく、高市首相の挙措が明るく礼儀正しく、且つ毅然としてゐることによるのだらう。しかも「働いて、働いて…」の宣言通り、その働きぶりは本当に瞠目するべきものがある。愚かにも「働き方改革」を持ち出しては彼女の足を引張る立憲民主党の国会議員もゐたやうだが、逆に彼女の働きぶりを見て、岸田や石破たちは何をしてゐたのかと呆れた国民も多いと思ふ。それに付け加へて、天敵の財務省はいざ知らず、各省庁の官僚たちにも、これまでの退嬰的な政府に仕へることで意気阻喪してゐた人たちがゐたはずで、さういふ官僚たちが高市首相を敬愛し支援しようとしてゐるやうに感じられるのだ。
三年前の安倍元首相の国葬で菅義偉元首相が述べた弔辞の中に、「私だけではなく、すべてのスタッフたちがあの厳しい日々の中で、明るく生き生きと働いていたことを思い起こします」といふ一節があつたけれども、丁度そのやうなことが官邸の内外で起きてゐるのではないかとの印象を受けるのである。人徳といふのか、人品といふのか、さういふものが人を動かすことがあるといふ例ではないか。その一つを挙げれば、高市首相はある程度英語ができるのだらうが、それでも国際会議の際、通訳が至近距離にゐて必要に応じて助け船を出さうといふ姿勢が多々見られた。それと対蹠的だつたのが、APEC首脳会議で見せた前首相の侘しく孤独な姿である。スマホを手に、「話しかけてくれるな」といふ雰囲気を醸成してゐて、理由は知る由もないが、通訳たちが意図的にそばに寄り付かなかつたやうにも見受けられた。
ところで、高市早苗といふ女性を初めて見たのは、今から三十年ほど前のことになる。テレビの討論会で、主題は外国人労働者受け入れ問題だつた。当時、たつた一人で反対論を主張してゐて、その討論会にも反対派として出てゐたのが、昨年鬼籍に入られた西尾幹二東京電通大教授(当時)だつた。私はその少し前、平成元年に上梓された氏の『「労働鎖国」のすすめ』(カッパブックス)を読んでをり、その洞察力に満ちた主張を知つてゐたので、賛成派がゐることに驚いたのだが(今もゐることにはさらに驚くが)、そこで西尾にかなり居丈高に反論してゐたのが若き高市早苗だつた。西尾幹二に私淑してゐた私は非常に腹を立てながら見てゐたと記憶する。その時の彼女の肩書の中に「元連邦議会立法調査官」とあつたので、「アメリカの民主党に感化された軽薄なバカ女がまた一人出て来たか」と私は思つた(言葉が穏当でないが、当時思つたことを正直に書けばかうなる)。その後、この肩書が英語のCongressional Fellowの訳語として相応しいかといふ議論を惹起したが、それはともかく、彼女が当時は保守派でなかつたことは確かである。
それもそのはず、彼女が米国に行き入所したのは、民主党左派リベラルのフェミニストとして有名だつたパトリシア・シュローダーといふ下院議員の事務所で、この事務所の選択も彼女の希望だつたと思はれる。高市はこの政治家に憧れてゐたといふ話もあるからである。
また、高市首相が三十歳の頃出版した自伝的著作では、自由奔放に生きる「女」としての生活があけすけに書かれてゐて、ネットで読む限り、ここに引用するのに憚られる下品な表現もあるやうだ(彼女が政界随一の「肉食女」だつたのは有名であると、私が知つたのは最近のことである)。思ひ返せば、この時代、我が国はバブル景気を背景に、戦後最も軽佻浮薄な風潮が支配してゐたから、若き高市もさういつた時代の空気に影響を受けてゐたのだらうか。
しかし、現在の高市早苗はかつての高市早苗ではない。政治家は聖人である必要はあるまい。マックス・ヴェーバーの言ふやうに、「政治にはそれ〔魂の救済〕とは全く別の課題、つまり暴力によってのみ解決できるような課題がある」(『職業としての政治』脇圭平訳、岩波文庫)ことを認識してゐれば、取り敢へずは合格と言へる。また、若気の至りは誰にもあるだらうし、当然私にもあるから、彼女の過去を責める気はない。勿論、彼女が保守派政治家へと、いつ、どのやうにして変貌したかには興味があるが、それは誰かがいづれ書くであらう。ともあれ、現在の彼女は「日本のジャンヌ・ダルク」といふ美称を献呈しても良いと思ふ。
それにしても、彼女の行動力は驚嘆に値する。就任直後に立て続けにあつた国際会議に出席して存在感を見せつけた。就任二日目には拉致被害者家族会と面会し、今月三日には、かねて力を入れてゐて、維新との合意文書にも明記してゐた旧姓使用の法案を来年の通常国会に提出するべく閣僚らに検討を指示した。また、ハイライトとも言へるのは、例の岡田克也への国会答弁において「存立危機事態」を明確に発言し、立憲民主党議員の「撤回」を求める不合理な非難や中共の子供じみた嫌がらせにも屈しなかつたことである。岸田、石破の元首相たちは「曖昧戦略」を採つてゐたので、ここまできつぱりと言つたことに、多くの国民は喝采を送つた。国民の心の隅にわだかまつてゐた中共への怒り、親中・媚中派議員やマスメディアへの不信感が正当なものであることを身を以て国民に教へ、国民の溜飲を下げたのである。他にも、「地域未来交付金」「成長戦略会議」の新設、税制改革の推進、特に保守派の懸念事項である外国人の土地取得問題、メガソーラーの補助金問題、等々、矢継ぎ早に「日本列島を強く豊かに」といふ政治路線を進めつつある。勿論、これらすべてが高市首相の手柄とは言へまい。これまで岸田・石破路線の媚中内閣で抑へ込まれてゐた政治家、官僚たちが息を吹き返したのではないかと私は見る。
運が良いことも彼女の特徴の一つである。中共の容喙もしくは使嗾があつたと考へなければ到底理解できないことであるが、公明党の方から連立を離脱した。これで自民党本来の政策を実現しやすくなつたことは間違ひなく、選挙で公明党頼みだつた似非自民党議員も炙り出される。また、これは高市首相とは関係ないのだらうが、これまで違憲判決が五件続いた同性婚問題の控訴審で、東京高裁が先月二十八日、民法や戸籍法は合憲であるとし、賠償の請求を棄却したのである(勿論、原告側は今月十一日に上告した)。高市首相は「合憲」の立場なのだから、もしも来年の最高裁も同様の判決であれば、保守現実派の勢ひが増すのは必定であり、LGBT理解増進法の廃止も日程に上つて来るのではなからうか。
そしてもう一つ。米経済誌「フォーブス」が今月十日、今年度版の「世界で最も影響力のある女性百人」を発表。高市首相が三位に選ばれたのである。そこでは「日本初の女性首相として、決断が東アジアの勢力バランスや、世界の製造業の安定性を形作る」と評された。これは高市首相の関知せぬことであらうけれども、そのやうな肯定的評価を得たこと自体は高市政権にとつてマイナスといふことはあり得まい。やはり強運の持ち主である。松下政経塾の出身である彼女は「運」の重要性を説いた松下幸之助の弟子であるから、内心でほくそ笑んでゐるのではなからうか。<了> (令和七年十二月二十二日)















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