蟷螂の斧

第10回 高市早苗首相の足を引張る愚者たち

(お断り)本稿でも所謂「中華人民共和国」を「中共」(中国共産党の略)と表記してゐますが、馴染みのない読者諸兄姉のために理由を列挙しておきます。

一、あの国が「人民共和国」ではあり得ないこと。さう書くには羞恥心を覚える(北朝鮮も同様)。

二、共産主義国では「国」と言ひながら、必ず「党」がすべての実権を握つてゐること。

三、我が国には「中国地方」があり、広島には「中國新聞」が存在し、その歴史は所謂「中国」より遥かに古いこと。

四、国名標記は米国だの英国だのといつた本国の標記とは無関係な表記が習慣上容認されてゐること。以上です。

それにしても、高市首相を批判する愚者たちには呆れるほかはない。

第一は、日頃女性の権利拡張を訴へ、女性の社会進出が「ガラスの天井」によつて阻まれてゐると批判してゐた自称フェミニストたちである。女性であるが、決して「女性」を強調することのなかつた高市が位人臣を極めて首相に選出されても、同性として喜ぶどころか、嫉妬・妬み・嫉みの言を撒き散らした。「嫉妬」とは、「それまで抱いていた優越感・愛情・独占感が突如他にしのがれるようになったことに気付いた時に感じる、ねたみの気持ち」であると、『新明解国語辞典』(第五版、三省堂)にある。洵に言ひ得て妙なる説明である。

『漢字ときあかし辞典』(円満字二郎著、研究社)によれば、嫉妬といふ漢字の「女」は「心理状態」の意で、一方「疾」は「急に病気になる」といふ意味があるとのことだ。であるとすれば、嫉妬心はある種の病の心理状態であり、女偏が使はれてゐるのは偶然ではないと、彼女らを見てゐるとさう思はされる(心ある大部分の女性たちには該当しません――念の為)。

彼女ら左翼フェミニストたちの二枚舌、ダブルスタンダードは今に始まつたことではないが、醜悪の極みと言ふべきである。私が確認した例としては、社民党の福島瑞穂、立憲民主党の蓮舫、西村智奈美、塩村あやか、他には上野千鶴子、加藤登紀子、東ちづるなど、それからテレビのワイドショーの女性コメンテイターたちである。同時に、彼女らは、中共軍機よる自衛隊機へのレーダー照射といふ国辱ものの大事件をはじめ、中共による様々な子供じみた嫌がらせに至るまで、その殆どを高市首相に帰すといふ短慮軽率の挙に出た。プロデューサー、或いはディレクターの指示があつたのかも知れないが、いづれにせよ、烏滸の沙汰である。

左翼の政治家たちも同様で、第二に目に付いたのは、「存立危機事態」をめぐる岡田克也をはじめとする立民・共産議員が行つた「為にする議論」だ。高市首相の答弁は、平成二十七年(二〇一五)に制定された「平和安全保障関連法制」との齟齬は全くないもので、その新法の目玉である「武力使用の新三要件」に基づいた答弁であつた。

読者の便宜のために以下に引用する。

「・我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること。

・これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと。

・必要最小限度の実力行使にどまるべきこと。」

「根底から」とか「必要最小限度」とか、見過ごせない無用の留保や制限があるが、今は措く。特に傍線を付したところが首相の答弁の内容であつて、所謂「集団的自衛権」に属する。この

場合、「他国」とは米国と台湾以外にはなく、中共からすれば「武力攻撃」の主体と名指しをされたのと同じなので、これまで以上に強硬に反応してゐるのだらう。それに、もつと重要な「個別的自衛権」も実は国連憲章第五十一条で認められてゐる以上、高市首相の言葉に咎められるべき個所は一切ない。これを撤回せよと言ふのは法治国家の政治家にあるまじき行為であり、売国的行為でもある。そもそも、万が一「撤回」したら、「日米同盟」が裏切られたとトランプは日本を見限るし、これまで友好関係を築いて来た日台の紐帯は脆くも切れてしまふであらう。彼らの言ひ分は中共を擁護するための詭弁でしかなく、恥を知れと言ひたい。

右の国会での遣り取りからひと月半ほど経つ内に、何やら岡田には政策とは何の関係もない裏の事情があると複数の政治ユー・チューバ―たちからもたらされた。それらによれば、岡田の父親が創業し、現在実兄がCEOを務めるイオン・グループが、彼の地で一説には二十三店舗を既に経営展開してをり、質疑が行はれた同じ十一月の末には湖南省長沙湘江新区に最大規模のイオン・モールが開店する運びなのだつた。だが、このやうなことはイオンと提携関係にある地上波放送では決して触れられない。それに何より、昨年、岡田他数名の立民の議員たちは北京を訪れて、石泰峰中央政治局委員・中央統一戦線工作部長、劉建超中国共産党中央対外連絡部部長、趙世通中国共産党中央対外連絡部部長助理などと会談を行つたが、党のホームページを見てもどのやうな内容の会談であつたかを全く明らかにしてゐない。面会相手が相手だけに、岡田は既に中共の工作員となつてゐるのではないかといふ疑念は十分に根拠を持つものだらう(橋下徹も同じであると仄聞する)。

それから、しばらくして今月十九日、官邸幹部の某氏が個人的意見だと断つた上で、我が国の核武装の必要を説いたオフレコ談話を、例によつて「朝日」が禁を破つて記事にしたことにより、またまた思考停止の議論が巻き起こつた。立民の代表野田佳彦は早速この某氏の「罷免」を要求し、「日本原水爆被害者団体協議会(被団協)」も「被爆者の存在を無視し、核戦争を容認するものであり、絶対に許すことはできない」との事務局長談話を発表した。

野田の妄言については、十三年前に安倍首相との討論の中で自ら四十五議席削減を言ひながら、さういふ「遣り取りはなかつた」と宣ふタヌキなので(もしも本当に忘却してゐたのなら、医師の診察を受けるべきだ)、これ以上は論ふことはしないが、ずつと影響力の大きい被団協の談話は聞き捨てに出来ない。「核戦争を容認するもの」といふ非難は、「戦争抑止力」といふ前提を無視してをり、全く的外れだ。この被団協は昨年ノーベル平和賞を受賞したために権威があるかのやうに見えるが、政治的に非常に偏向した団体である。

先月、高市内閣が「非核三原則」の見直しの検討をすると発表した際にも、以下の声明を発表した。「私たちは日本政府に、非核三原則を法制化すること、核兵器禁止条約に署名、批准すること、戦争を遂行した国として原爆被害者への償いをすること、核兵器も戦争もない人間社会にむけて世界の指導的役割を担うことを強く求めます」と言ふのである。

「戦争を遂行した国として原爆被害者への償いをすること」とは一体何のことか。言ふまでもない、原爆を落としたのは米国である。中学生にも分かるこの非論理性には驚かざるを得ないし、この倒錯ぶりは「過ちは繰り返しませぬから」といふ広島の原爆死没者慰霊碑の碑文と同様に左翼のものである。それに「非核三原則」は「国是」でも何でもなく(さう記した公式文書は存在しない)、状況に応じて見直すべきことは憲法などと同様である。

私は「唯一の被爆国」が行ふべきは「二度と被爆の被害に遭はない」ための施策を講ずることだと考へるが、彼らはさういふ議論を許さず、今回も言論封殺に走る。被団協は現代日本の聖域となりおほせてゐるが、この団体の政治的偏向はもつと強く批判されるべきと考へる。

一方、被団協の浜住治郎事務局長は二十二日、産経新聞の取材に対して、紅白歌合戦に初出場する韓国の四人組女性グループaespa(エスパ)の中国人メンバーが、過去に原爆のきのこ雲を題材にしたランプの写真を嬉しさうに投稿していた問題について「対応することはない」と語つたとのことだ。これもをかしな話で、私は中共との深い闇を感じるが、どうであらうか。

序でに言へば、このグループの紅白歌合戦への出場について当然ながら多くの批判が寄せられたが、NHKは署名の受取さへ拒否したと伝へられてゐる。このことは、NHKの本局に中共の宣伝機関で国営の「中央電視台日本支部」が同居してゐることと無関係だらうか。中共には有事に軍事動員する「国防動員法」と、有事か平時かを問はず政府の情報工作活動への協力を義務付ける「国家情報法」が存在する。そんな国の情報機関を同居させてゐること自体、極めて大きな問題だが、国会で問題となつたとは寡聞にして聞かない。既に中共の属国になつたかのやうだ。

話を戻す。そもそも「核廃絶」なぞ、まともな知性があれば金輪際あり得ないことは分かつてゐるはずだ。福田恆存風に言へば、仮に核兵器が世界から姿を消しても、核兵器製造の能力とその方法の「記憶」までは絶対に抹殺できないのである。出来もしないことをさも出来るやうに仮装するのは何らかの目的があるからだ。核兵器(原爆)を「現代の悪魔」(第五回本稿参照)に祭り上げることで、最も利益を得てゐるのはこの団体であらう。

マスコミも左翼政治家も揃つてこの「核兵器廃絶」といふ画餅のスローガンを繰り返して、自由な言論を封殺しようとしてゐる。画餅の議論といふものは、以前も書いたが、「頭が悪いか、真剣に考へてゐないか、保身のためか」のいづれかである。

さて、以上のやうに見て来ると、高市首相の登場に対して最もいきり立つてゐるのは中共であるが、それもそのはず、現代日本の抱へる殆どの問題が、中共と媚中派の政治家、或いはマスコミに潜在してゐる工作員もどきなどによつて引き起こされてゐるのである。反原発、メガ・ソーラ―、外国人労働者の移民政策、土地・水源・不動産の買ひ占め問題などがそれに当たるであらう。

さうであれば、高市首相の登場が、真に日本のためになること、ならないこと、また、そのどちらを主張してゐる人物かを示すリトマス試験紙と既になりつつある。来年はおそらく解散総選挙が行はれ、さうなれば左翼政党は壊滅的打撃を被ることになり、だいぶ風通しが良くなるであらう。それが奔馬の勢ひとなり、我が国が「強く、豊かに」そして美しくなることを、念頭にあたり、私は願つてやまない。〈了〉(敬称略)

【追記】

前回、高市首相の「運の良さ」について触れたが、一つ書き洩らしてゐた。今月一日に発表された「流行語大賞」に首相の「働いて、働いて…」が選出されたことである。

毎年年末に発表されるこの賞では、「流行語」ではなく、単に世間の注目を集めた事象が受賞することがあり、目的が不明なお遊びでしかない。しかし、明らかに政治的に偏向したものが選ばれることがあり、例へば、平成二十七年には「アベ政治を許さない」とか、翌年には「保育園落ちた 日本死ね!」がノミネートされたので、選考委員会のお里が知れることとなつた。

だから、今回の大賞受賞に大きな意味があるとは思はれないが、それでも「働いて…」が受賞したことには、「フォーブス」誌の発表と同様に一定の意義を持つのではないか。

つまり、「ワーク・ライフ・バランス」なるものを無視するといふ意気込みは、働くことがまるで悪いこと、或いは忌避するべきことのやうに喧伝されてゐる現今の我が国の風潮に一石を投ずることにならないだらうか。高度経済成長期に週休二日はなかつたし、企業が「ブラック」と評されるのを極度に恐れて残業時間を自己規制してしまふこともなかつた。無論、健康や家庭を壊すほど働く必要はないけれど、あの時代と比べて、経済力が下降し、「給料が上がらない」といふのはある意味で必然ではなからうか。もしも巷間言はれるやうな「人間的な=快適な」生活を優先するなら、経済的不振はある程度忍ぶべきものなのではないか。〈了〉(令和八年一月二十二日)

吉田好克

吉田好克について 吉田好克は、神道・宗教・日本思想・歴史・政治・社会について、長年にわたり研究・教育・執筆を続ける論者です。 その関心の中心にあるのは、個々の時事問題そのものではありません。 日本とは何か。 日本人はいかに生きるべきか。 歴史や伝統を、現代にどう受け継いでいくのか。 そうした根源的な問いを、宗教、思想、歴史、社会のさまざまな角度から考え続けています。 論考では、福田恆存、江藤淳をはじめとする先人の思想や、国内外の文献を幅広く参照しながら、現代社会で当然のように語られている価値観や言説を改めて問い直します。 その姿勢は、特定のイデオロギーから現実を説明するのではなく、歴史、伝統、人間の営みという現実から、思想や制度を見つめ直すことにあります。 連続論考「蟷螂の斧」では、外国人労働者問題、戦後日本とキリスト教、原爆忌と平和思想、安全保障、靖国神社、保守思想、政治家論など、現代日本が直面する問題を幅広く取り上げています。 「蟷螂の斧」という名の通り、たとえ小さな力であっても、疑問を抱いた問題には自らの言葉で向き合う。 その文章には一貫して、日本の歴史と文化を次代へどうつなぐのかという問題意識があります。 本サイト「吉田好克.jp」では、「蟷螂の斧」をはじめ、これまでに執筆された論文、評論、寄稿、講義資料などを整理し、吉田好克の知的成果をデジタルアーカイブとして公開していきます。

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