今年一番驚いた椿事(ちんじ)だつたかも知れない。産経新聞社発行の『月刊正論』九月号(八月一日発売)に、石破茂の「日本はいまだ独立主権国家たり得ず」が掲載されたのである。驚いたのは筆者だけではあるまい。「保守系三大誌」の中で最も歴史が古く(創刊は昭和四十八年)、また、優れた保守系論客たちの発表場所でもあるこの論壇誌に石破の論文が載つたのだから驚かない方がをかしい(尤も、記事の末尾に「構成 産経新聞政治部記者末崎慎太郎」とあるから、記者による所謂「聞き書き」かと思はれるが、ゲラは石破自身が校閲してゐるだらうから、以下、石破の書いた「論文」と見做した上で、縷々論評することにする)。
それにしても、石破の人品骨柄の卑しさは数多い陋劣な政治家たちの中でも際立つてゐて、自民党の公約だつた消費減税に反対するなど、高市政府に弓を引くことばかりしてゐる。安倍首相当時も「後ろから弾を撃つ」ことで有名だつたが、今は一層激しく弾を撃つてゐるやうだ。自分が大所高所から俯瞰してゐる「大人(たいじん)」であるかのやうに見せかける自己宣伝と国民的人気の高市首相への嫉妬ではないかと私には思はれる。
講演会やラジオ番組などでは、先頃の「改正皇室典範」について、「民意を反映してゐない」なんぞと語つてゐる。俄かに信じられないことだが、仮にも首相を務めた男が「代議制民主主義」の何たるかが分かつてゐないのである。「民意」とは、世論調査の数字ではなく選挙結果のことである。さらに別のところでは、「歴史を科学として見られる時代になつてゐる」などと駄法螺を吹く。「科学」とは何か、「歴史」とは何か、深く考へたことがない証拠である。「歴史とは解釈のこと」(E・H・カー『歴史とは何か』清水幾太郎訳、岩波新書)であるが、「科学」は解釈ではない。
さて、当該論文は、四月二十九日に開催された「昭和百年記念式典」での高市首相の式辞や式典の内容などをネチネチと無いものねだりの如き批判をするところから始まる。高市首相の式辞が昭和の「明るさ」を強調したのに対して、「『明るさ』だけではない部分についても敢えて触れるべきだったのではないだろうか」と疑問を呈した。石破にしてみれば、戦前の帝国憲法の欠陥や敗戦に至る統治システムの問題点などを論じて欲しかつたといふところであらう。けれども、石破の歴史観は常に「独り相撲史観」であり、戦争には相手がゐるといふ観点を全く欠いてゐるので改めて取り上げることはしない(本稿第七回「独り善がりの宰相」参照)。
高市首相が、天皇皇后両陛下ご臨席の式典で、「昭和は、戦争、終戦、復興、高度経済成長といった、未曽有の変革を経験した時代でした」と言ふに留めたのは高度な政治的判断だつたのではないか。歴史には闇もあれば光もある。だからこそ、首相は「私は、日本と日本人の底力を信じてやみません。日本の誇るべき国柄を、未来を担う次の世代にしっかりと引き継いでいく」と高々と語つた。歴史の「光」に焦点を当てたかつたからに違ひなく、それはそれで結構ではないか。「記念式典」なのであり、「反省」や「お詫び」だけが能ではあるまい。

ところで、この石破論文の仰々しい題目は、見た途端にどの口が言ふのかと思はされるけれど、雑誌論文の題目は編集部が決めることが多いから石破が付けたものでない可能性もある。が、通読して最も目を引いたのが、やはり以下の文言であつた。「私は、戦後の日本はいまだ独立主権国家として完全ではないと思っている。私の中では、集団自衛権を国際法と同じ水準で行使できるようにすることこそが、日本の主権を全面的に取り戻す手段なのだと考えている。昭和の負の遺産とは(略)、今なお、完全な独立主権国家たり得ていないことでもある」。
仮に石破の言ふ通り「主権を全面的に取り戻す」必要があつたとして、首相在任中に石破はお得意の「ねばならない」を使つて、一度でも「主権を取り戻さねばならない」と言つたことがあつたであらうか。また、そのための「手段」を何か講じようとしたのであらうか。筆者は寡聞にして知らないが、それに、そもそも「国際法と同じ水準で行使」とは一体どういふことか。正直、私にはよく分からない。
間違つてゐるかも知れないが、筆者の想像力の及ぶところは次のやうなものである。
先づ、「国連憲章」第五十一条によつて、加盟国には「個別的又は集団的自衛の固有の権利」が認められてゐるのだから、「個別的自衛権」は国際法的にも自明である。一方、国際法上の「集団的自衛権」の本質は「他国の援助」であり、「一国に対する武力攻撃について、その国から援助の要請があった場合に、直接に攻撃を受けていない他国も共同して反撃に加わるための法的根拠を意味」するのに対して、「平和安全法制によれば、同時に日本の存立が脅かされるなどの場合に限定したという意味で、国際法上一般に認められている集団自衛権に対して大きく限定された」といふ「学説」がある(「国際法上の集団自衛権」森肇志東大教授「国際法学会」誌、№二〇一六―四)。このことに石破は腹を立ててゐるのだらうか。もしさうであるなら、その言や良し。しかし、これほど石破の日頃の言動と隔絶してゐるものはないであらう。
次に思つたのは、同じく「国連憲章」第五十三条、第百七条に見える所謂「敵国条項」である。前の世界大戦における勝者である連合国が結成した国連が、「第二次世界大戦にこの〔国連〕憲章の署名各国の敵であった国」として日本とドイツを「敵国」扱ひをしてゐるのは周知のことである。この条項は米国に次ぐ分担金を払つて来た我が国が、この屈辱をいつまで忍ばねばらならないのかといふ怒りなら分かるのだが、これまた石破が真剣に考へてゐたとは到底思へぬ。何せ、国際会議、例へば、APECの場でスマホを手に「話し掛けてくれるな」と言はんばかりの異常なオーラを出してゐた御仁だからである。

ともあれ、タイトルにしたほど重要な箇所であるのに、「日本が独立主権国家でない」と断じる理由が判然としない。末崎記者も、おそらく面食らつたはずで、そこはもう少し詳細に語るやうに迫るべきでなかつたか。しかし、もともと話に論理がない石破なので記者も迫るに迫れなかつたといふ事情もあるやうに思ふ。それに、石破は現在無役で時間はあるのだらうから、初めから自ら執筆すべきであつたと思ふ。
他にも筆者が納得できない箇所が複数ある。
一つは、「本来、我が国が独立した時に、日本国民の手で日本国憲法を改正するべきであった」と当たり前のこと(しかし、決して自らやらうとはしなかつたこと)を力説しながら、一方では、「私は『押し付け憲法論』には立たない」と宣つてゐることだ。その理由は「議会で承認している」からだと。これは護憲派の常套句の一つであるが、そもそも当時の日本は「国家主権」を奪はれ(本来、憲法の作成はできない)、天皇陛下を人質に取られ、帝国議会他の議論を監視され、最後はマッカーサーの承諾なしには何一つ決められなかつた被占領国であつた。このことから目を逸らした憲法論議は全くの無益である。
実際、新憲法草案起草のために招集された昭和二十二年二月四日の民政局の憲法制定会議で、ホイットニー民政局長が「〔GHQの憲法草案受諾の〕説得の道が不可能なときには、力を用いると言っておどすことだけでなく、力を用いること自体の授権を、マッカーサー将軍から得ている」と語つた記録が残つてゐる(「民政局の要録」小山常美『日本国憲法無効論』草思社)。かうした状況の中で出来上がつた憲法を「押し付けでなかつた」と言ふのは、東大法学部の学者たちと同様の、「感情バイアス」による牽強付会である。
もう一つは、江藤淳の『保守とは何か』(文芸春秋、平成八年)に拠りながら、「守っていかなければならない大切なもの、日本で言えば皇室であり、自分の家族であり、地域であり、国の歴史であり、地域の歴史であり、そういうものを守っていくために、違う考え方を持った人たちに対しても寛容な姿勢を以て臨まなければならない。本当に守らねばならないものを守るためには、その他の部分で変えていくべきものは変えるという柔軟性も必要だ。相手の主張に耳を傾ける寛容性と、改むるべきを改める柔軟性が保守の本質である」と言つてゐる点である。
私は、「少数意見の尊重」を言ふ人間と同じく、かういふことを言ふ人間は頗る偽善的であると断ずる。この種の言葉に実質的な意味はなく、自説に凝り固まつてゐるのではないと伝へたいだけのためにかく言ふのである。「寛容」とは辞書によれば、「他人の言動をよく受け入れること、他人の過失などを許すこと」であるが、それは時と場合によるのであり、一般原則とはなり得ないであらう。
先般、七月十日、「天皇制の終焉を求める」といふ驚くべき公式声明を出した「キリスト教協議会」(NCC)に対して、「皇室を大切なもの」としてゐる石破は、表面的にはともかく、真に「寛容な姿勢」で臨めるのか、「受け入れること」が出来るのか。冷静に議論の席に着くことはあり得るであらうが、そんなものは「寛容」ではなく、「礼儀」の範疇である。簡単に妥協できない議論であれば、勢い議論は真剣勝負にならざる得ないし、また、さうなるべきであらう。信念と寛容は必ずしも両立しない。
また、大事なものを「守るためには、その他の部分で」柔軟性を発揮せよとは、方法的に意味をなさない、物々交換ではあるまいし。真の保守ならば、かういふつまらぬ戦略的見取り図を描くべきではない。
それに何より、「柔軟性」や「寛容性」は「保守の本質」ではない。
石破が引用してゐるやうに、江藤淳は右の本に「保守主義にイデオロギーはありません。イデオロギーがない――これが実は保守主義の要諦」「保守主義とは一言で言えば感覚なのです」と書いてゐる。以下、石破は引いてゐない部分であるが、江藤はその「感覚」を「エスタブリッシュメント(既得権益を持っている人たち)の感覚」であるとし、「既得権益を持っている人たち」とは、「イズムで動く」つまり、イデオロギーで動く麻原彰晃や全共闘上がりの政治家らのやうに、「これからのし上がって、物事を変えてやろうという人ではない」と、その違ひをうまく表現してをり、別に異論はない。
しかし、ここまでは寛容性とか柔軟性とかの言葉はなく、石破がむしろ共感したのは江藤が最後の方で書いてゐる次のやうな箇所であらう。
「時には保守するために大きな改革を行わなければならないこともあります。そこには論理の矛盾がある。保守主義の弱点なのかもしれない。しかし、保守とはイデオロギーではなく一つの感覚だからそれはやむをえない。人の世はすべて留めおくことはできない、と知ること。そして、変えるべき点は改めるを憚らない。これもまた保守的感覚の発現だろうかと思います」。
だが、「変えるべき点は改めるを憚らない」は、ある意味では「常識」或いは「処世術」といつたものであり、寛容性とか柔軟性とかとは必ずしも関係ない(「変えるべき」と考へた以上、「変える」のが論理の然らしむるところであらう)。本質とは「あるものを、そのものたらしめる上で欠かすことのできない根本的な要素」なのだから、江藤も寛容や柔軟性を「保守の本質」としてゐるわけではない。

石破も保守政治家を自称するなら、保守思想の大先達、福田恆存も読んで貰ひたいものだ。江藤の文章からおよそ三十二年前に福田は「私の保守主義観」で江藤と極めて似たことを書いてゐる。「保守的な態度といふものはあつても、保守主義などといふものはありえない」「保守派はその態度によつて人を納得させるべきであつて、イデオロギーによつて承服させるべきではないし、またそんなことはできぬはずである」(「私の保守主義観」、「原文の漢字はすべて正漢字。以下同様)。
では福田の言ふ「保守的な態度」とは何か。私は二十年前に次のやうに書いたことがある。「敢へてその旗印を表現してみるなら、観念的・目的論的で未だ実証されもしなければ経験によつて確かめることが出来ない事どもよりも、歴史の重みや種々の伝統、風雪に耐へた習慣や万古不易の美徳、或いは民族において蓄積された体験、思想などを、相対的に重要視するといふやうな心の構へのことではなからうか。そしてさらに、ある種の懐疑主義をそこに付け足すことも可能かも知れない。『人類の目的や歴史の方向に見とほしのもてぬことが、ある種の人々を保守派にする』と福田は言つてゐるからである(同前)」(「保守とは何か――福田恆存に学ぶ」、初出は「時事評論石川」第六六一号、のち『事問ふ葦』高木書房に収録)。
要するに、過去から続く伝統や歴史に最大の信頼を置く生き方のことであり、実際に福田は次のやうに書いてゐる。「生き方といふものはつねに歴史と習慣のうちにしかない。それを否定してしまへば、ただ混乱あるのみです。現代そのものからは、生き方は出て来ません。なぜなら、未来はもとより、現在もまた存在してゐないからです。現実に存在してゐるのはつねに過去だけです。私たちの生き方や行為の基準は必ず過去からやつてくる。現在は基準にはならない。現在を基準にするといふのは、基準をもたないといふのと同じ意味です」(「伝統に対する心構」)。
このやうに考へる福田恆存が「イズム」「イデオロギー」を旗印とした多くの左翼評論家・思想家(当時は革新派、進歩派と呼ばれ、皆「見とほし」を持つてゐた)と激論を戦はせ続けた稀代の「論争家」だつたことは周知の通りであり、あまつさへ連戦連勝であつた。それは、文芸批評家の磯田光一が「左翼が論争して絶対に勝てない唯一の思想家」と評したことにも表れてゐる。
我々が福田恆存に学ぶことがあるとすれば、「柔軟性」だの「寛容性」だのといふ本質とは無関係な言葉ではなく、福田の揺らぐことのない「過去」への信頼と徹底した「懐疑主義」である。「保守主義的な生き方、考へ方といふのは、〔世界や歴史についてだけでなく〕主体である自己についても、すべてが見出されてゐるといふ観念をしりぞけ、自分の知らぬ自分といふものを尊重することなのだ」とも福田は書いてゐる(「私の保守主義観」)。その上で福田は忠告する。「保守派は無智といはれようと、頑迷といはれようと、まづ素直で正直であればよい。知識階級の人気をとらうなどといふ知的虚栄心などは捨てるべきだ」と(同)。

石破が寛容だとか柔軟などに拘るのは、おそらくは「保守的思考」には自ずと「不寛容」や「硬直」といふものが付き纏ふものであるといふ先入観からであらうし、「知識階級」(現代では「左翼リベラル」)の「人気」を意識してゐるからではなからうか。勿論、真の保守派にそんな「知的虚栄心」は不要である。「違う考え方を持った人たちに対しても寛容な姿勢を以て臨まなければならない」と、如何にも偉さうに石破は言ふが、これも「独り相撲」が好きな極楽とんぼの思考であつて、「思想」の世界はもつと厳しいといふことを石破は知るべきだ。
寛容と柔軟が好きな石破の耳に、フランスの哲学者E・M・シオランの次の言葉はどのやうに響くのであらうか。「敵対者に向けた思ひ遣りなどといふものは、衰弱の、つまりは寛容の紛れもない兆候であり、結局のところ、寛容とは瀕死の人間の媚態に過ぎないのである」(『四つ裂きの刑』金井裕訳、法政大学出版局。訳語を少し変へた)。<了>(敬称略)
(令和八年九月六日)
【追記】
①キリスト教協議会(NCC)は日本最大のプロテスタント系の組織であり、その中心にはクリスチャンである石破茂も属してゐる日本基督教団があるのだから、「皇室を守らねばならない」としてゐる石破は何も行動を起こさないのであらうか。尚、左傾化した日本基督教団については、本稿第十七回「『日本基督教団』と戦後日本の『悪しき精神構造』」(令和八年五月十八日)を参照。
②福田恆存の言葉と思想に興味を持つた読者には、関連の記事、評論などを一冊に編んだ『保守とは何か』(浜崎洋介編、文春学藝ライブラリー)の一読を薦める。
③福田恆存が江藤淳の歴史的仮名遣についての意見を批判したことがある。拙著『続・言問ふ葦』二三七頁を参照。















神道や日本の歴史について、断片的な知識しか持っていませんでしたが、吉田先生の文章は一つひとつの論点が明快で、非常に考えさせられます。世の中で当たり前のように語られていることを、そのまま受け取ってはいけないと改めて感じました。毎回の配信を楽しみにしています。