先月、またもや「切り取り報道」があり、場外での大騒ぎが起きた。オリンピックの開会式の前統括責任者、佐々木宏の発言問題である。
事の端緒は、開会式で渡辺直美に豚を演じさせようといふ案を関係者たちにラインで送つたことであるが、「文春オンライン」(三月十七日)によれば、そのスマホの文章の冒頭、豚の絵文字の後ろに「渡辺直美への変身部分。どう可愛く見せるか」とあり、その後は「歴史を振り返るというより、過去大会ハイライトシーンを、どうワクワクする様に見せるか。例えば、・珍プレー好プレー的なアーカイブ ・離れ技、特集 ・号泣シーン ・セレモニー忘れられない感動シーンなど」といふやうに小さな構想を思ひつくまま書いたものなのだ。「どう可愛く見せるか」といふ言葉はこの場合重要だ。渡辺を「豚呼ばはり」してゐるのでもなければ、笑ひものにしようといふことでさへない。
右の構想の元にはオリン「ピック」と「ピッグ」の駄洒落があつたやうだが、特に批判されるほどのことではなく、ましてや辞任するほどのことではない。渡辺の一件は他の委員には不評であり、佐々木はすぐに撤回したといふ。
それから一年過ぎてこの騒ぎである。佐々木自身、もう忘れてゐた話ではなからうか。誰かが何らかの目的で週刊誌に漏らしたのは明らかだが、その問題は週刊誌に任せて、ここでは以下のことを言ひたい。
先づ、容姿一般について揶揄したり冗談のネタにすることは、特に本人を前にした場合、慎むのが良識といふものである。が、対象が芸能人の場合にはある程度許されると小欄は考へる。芸能人は先づ以て、人格が不明な「身体的存在」としてのみ我々の前にあり、髪型、化粧、顔、声、体形、服装の趣味などは商売道具であるだけでなく商品でもあるからだ。商品である以上、評価は付き物だ。それに所謂「お笑ひ芸人」は自らの身体的特徴で笑はせることが多く、明らかに渡辺は肥満体を武器に人気を博して来たし、吉本新喜劇には同様の「売り」のタレントもゐれば、自らの低身長で笑ひを誘ふコメディアンも登場する。頭髪の不足も笑ひのネタとなる。さういふ身体的特徴を茶化したらダメといふことになれば、コロッケら物真似芸人の商売は上がつたりだ。
一番の問題は、森発言の時と同様、言葉の一部を切り取つた報道に反応し、調べもせずに「差別」だ「侮辱」だと問題を大きくして陶酔する「正義中毒」患者たちの存在だ。彼らは脳の「前頭前野」が未発達であり、さういふ人間を増加させてゐるのがSNSやネットなのだ。現代病と言へよう。(令和三年四月号)














