旧臘発表された所謂「安保三文書」はこれまでに無く意欲が漲るもので、関係各位の努力を多としたい。けれども、「南西司令部の地下化」「サイバーセキュリティの確保」「部品不足の解消」など、これからかと驚かされる個所もある。同時に、「専守防衛」といふ軛を打破できずにゐることが残念でならない。
専守防衛とは「相手から攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その様態も自衛のための必要最小限にとどめ、(略)憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢」だと、昨年度の「防衛白書」にも書かれてゐる。
しかし、憲法学の池田実日大教授が言ふやうに、専守防衛は「非核三原則」と同じく「憲法どころか法律や政令・省令ですらな」く、憲法九条は「相手の武力攻撃前の先制攻撃という特定の防衛戦略・戦術を直接禁止しているわけでもない」のである(「産経」昨年五月二十九日)。
専守防衛といふ言葉は、昭和三十年、第三代防衛庁長官杉原荒太の国会答弁が初出とされてゐるが、当時と現下の国防を巡る状況は全く異なる。
今回の議論で最初は「敵基地攻撃能力」と言はれてゐたものが、輿論を気にしてか「反撃能力」と言ひ換へられ、「先制攻撃は許されない」とわざわざ断つてゐる(「国家防衛戦略」)。
しかし、攻撃を受ける前に何とかしなければ、ウクライナ同様に、開戦当初から甚大な被害を被り、人的被害はウクライナの比ではなからう。敵の最初のミサイル攻撃も一発とは限らず、また、標的も原子力や火力などの発電所、軍事基地、ダム、都心部と様々であらう。しかも極超音速のミサイルを迎撃することは困難と聞く。だから、敵による最初の攻撃だけで我が国が「反撃」不能の状態に置かれる可能性があり、それを指摘する専門家もゐる。つまり、やられたら、もうやり返せないといふことだ。「必要最小限」などといふ及び腰の規定は全く無意味だ。
例によつて、左翼陣営からは「反撃能力は不用意な挑発行為」などといふ愚鈍な主張がなされてゐる。「専守防衛こそ高度な戦略」との題の元、東工大の中島岳志は「反撃能力が、相手にとって決定的な脅威とならない限り、抑止は成立しない」から無意味だとする一方で、「核保有しない限り、中国に対する決定的な脅威とはならない」(「東京」一月一日)とも書いてゐる。皮肉にも、本人も気付かぬうちに真理に触れてゐる。狂気の覇権国家群と近接し、先制攻撃を自ら禁じた国が生き残る方策は一つしかあるまい。即ち、「決定的な脅威」を相手に与へて攻撃を抑止できる「核武装」だ。それはインドとパキスタンを見れば分かることである。(令和五年二月)














