天下の悪法「LGBT法」が成立してしまつたが、これについて再論したいことがある。
一つには、この法律は「性的指向」と「性自認」を一括りにした雑駁なものであるが、そのことは何故かあまり議論にならなかつた。LGBは化粧室や温泉では自分の性に従ふから大きな問題にはならない。前三者とTとは全く別の問題なのだ。
Tは少し前まで「性同一性障害」といふ病名で呼ばれ、本当に性転換を望む場合には平成十五年制定の「特例法」により、二人以上の医師の認定と「性別適合手術」(生殖腺の除去と近似した外性器の形成)が必要となつた。究極のTとはこのやうな人たちである。この法令を日本学術会議が廃止するやうに動いてゐることは知つてゐるが、このやうな議論もさつぱり聞こえて来なかつた。この法令とその遵守義務が広く共有されれば、「女性スペース」に男性器をぶら下げた「自認女」が堂々と侵入するといふやうなことはある程度抑止されるのではなからうか。だが、小欄は性転換手術を奨励してゐるわけではない。
Sex Change Regretと言ふ米国のネットサイトがある。その主宰者ウォルト・へイヤーは、自らの後悔を踏まえ、性自認に悩む者はたいてい幼少期の精神的・肉体的・性的虐待などが理由だから多数が性転換手術後に後悔してゐる現実があり、無責任なホルモン治療や手術は「現代最大の医療詐欺」だと言ふ(『正論』昨年五月号)。さらに「民主党なくしてLGBTは存在しない」との名言も吐いてゐる。右のやうな知見は今後もつと広く知られるべきであらう。
次に、三月号でも紹介した吉源平(ギル・ウオンピョン)他五名の共著『同性愛は生まれつきか? 同性愛の誘発要因に関する科学的研究』(22世紀アート、二〇二〇年)における、「同性愛は環境などの影響を意志の選択によって受け入れたのち、強い依存性により形成される性的行動様式」であるといふ結論に触れた議論もあまり見なかつた。従来、「同性愛は遺伝的なものであるから変へられず、本人には責任が無い」と主張して来た活動家たちへの反論となり得たと思ふのだが。
一方で、動物行動学者の竹内久美子は二〇〇四年のイタリア人研究者キアーニらの理論に基づいて今なほ「遺伝子」の存在を言ふが、右の論文では「抽象的理論に過ぎない」と退けられてゐる。
勿論、医学・生物学上の問題について蝶々する資格は小欄には無いが、既存の法律や医学的知見を無視した立法は腹立たしく、この杜撰さは、数年前から法案を準備してゐたはずの自民党が一夜にして、たいして選ぶところの無い維新・国民案を丸呑みしたことに良く表れてゐる。(令和五年七月号)














