岸田首相が相変はらず馬脚を露し続けてゐる。
昨年十一月に亡くなつた拉致被害者家族連絡会の飯塚繁雄会長のお別れ会(三月十二日、砂防会館)で、筆者は岸田首相の弔辞を直に聴いた。その中で岸田首相は、「拉致問題は岸田内閣の最重要課題です。総理大臣として自ら先頭に立ち、(略)全力で取り組んで参ります」と故人の霊前に誓つた……はずだつた。ところが驚くべし、翌日の自民党大会で演説した岸田の口からは「拉致」といふ言葉が一言も出なかつたのである(「産経」)。勿論、内閣の面々と自民党員とは全く同じ政治信条ではないにしても、拉致問題が最大与党である自民党が動かなくてはどうにもならないことは明白ではないか。
一日にして健忘症を患ふかうした岸田に対して、古屋圭司拉致議連会長や松野博一拉致問題担当大臣らは抗議の声を上げないのだらうか。たぶん上げないのだらうが、であるとしたら、何のための会長であり大臣であるのか。そもそもやる気がないとしか思へない。
先月号の本紙で、「特定失踪者問題調査会」の荒木和博代表が、〈政権が始まるときは「最重要課題」、終わるときは「断腸の思い」の繰り返し〉であると「お役所言葉」に満ちた歴代政府の言ひ分を批判してゐた。特に「断腸の思い」などといふ言葉を使ふ以上、〈自分の時代に救出できなかった責任をとって政治家を辞めたらどうか。辞めたくないなら口にすべきではない〉には全く同感である。岸田首相を始め、今の内閣や自民党幹部の言葉への無神経はただただ驚くほかはない(これまでは良かつたと言ふつもりもないが)。
安倍元首相の「核共有」論を岸田首相は直ちに否定し、その際、被爆地広島選出の衆議員として云々と付け加へた。国政を、就中、国の存亡が懸かる問題を論ずるときに、選挙区だの出身県だのを理由にするのは幼稚過ぎて烏滸の沙汰以外の何物でもない。
ともあれ、ロシアのウクライナ侵攻を目の当たりにしてなほ、身の毛の弥立つやうな危機感を感じないのは想像力の欠如としか言ひやうがないし、米国が「あらゆる能力を駆使して日本を守つてくれる」と宣つた「欠伸外相」林芳正も同様だ。
「核共有」は自国内の敵を殲滅するためのものだから、戦略的にそんなに有効ではないとも聞くが、ならば、核を自前で準備するべきだ。核兵器不拡散条約(NPT)も不磨の大典ではない。何より、「主権を行使してこの条約から脱退する権利」(第十条)を保証してゐるではないか。
ウクライナ国民は命懸けで「平和」を守らうとしてゐるのであつて、「平和主義」なんぞを守らうとしてゐるのではない。(令和四年四月号)














