我が国は弱者でゐるはうがラクだとて、益々「弱者天国」となつてゐるやうに思はれる。これを「亡国の兆し」と言つても過言ではなからう。
例へば、北京の冬季オリンピックの「外交ボイコット」や「対中非難決議」においても旗幟鮮明にできず、中途半端な韜晦に終始した政府。明日にも開戦かといふ時期に、ロシアの首脳と「経済協力」の話をしてしまふ外務大臣。「我が国に仮想敵国はゐない」と非常識な世迷言を国会で口にした元防衛大臣。「敵基地攻撃」の用語に拘るだけで、内実を一向に明示できない首相や国会。今年も「竹島の日」の式典に閣僚を派遣せず、佐渡島金山の世界遺産登録でも事勿れ主義だつた政府と外務省。
最近目に付いたものだけでもこんなふうだ。弱腰叩頭外交が何か実を結んだ例があつたらうか。
政治家だけではない。先頃の北京オリンピック関連では、スキージャンプの高梨沙羅の成績が振るはずと見るや、ネットに「化粧の研究なんかせずにもつと練習せよ」と書き込む有象無象の大馬鹿者が大勢ゐた。他人のやることにケチを付けては溜飲を下げるまさにケチな人間の本質は弱者なのだ(強者はさういふことはしない)。そしてかやうな場合、マスコミはさういふ弱者は批判するが、決して巨悪は批判しない。東京オリンピックにはあれこれ注文を付けたが、北京オリンピックには黙りを決め込む。これも弱者ゆゑのことだ。
スピードスケート長距離で二冠に輝いたスウェーデンの選手が帰国後、人権問題を抱へる中国での大会開催を決めたIOCを「極めて無責任」と非難したが、その種の声は日本人選手やマスコミからは今のところ聞こえて来ない(二月末時点)。選手団の帰国の際、空港での記者会見が無かつたのはオミクロン株のせいだけだつたのだらうか。
LGBTなどの少数者の権利を声高に擁護するのも、「弱者」のはうが、或いは「弱者の味方」のはうが得をするからだ。
既に昭和四十二年に福田恆存は、日本人が「救世の志」を失つた結果、我が国が「あらゆる精神的努力を無効力、無用なものとし、(略)弱者であつた方が好都合である様な世界観の形成を助長しつつある」(「弱者天国」『全集』第六巻)と注意を喚起した。かういふ風潮ほどおぞましいものは無い。けれども、令和の今日、これは既に宿痾となつてしまつた感がある。
もしもロシアのウクライナ侵攻を見て、政治家たちがまだ憲法九条の意義を説いたり、我が国の核武装を頭から否定したりするとしたら、我々はさう遠くない将来、弱者ゆゑの本当の地獄を見ることにならう。安倍元首相の「核共有」論を即座に否定した岸田首相は地獄の到来を早めるかも知れぬ。(令和四年三月号)














