梓弓

第16回 陰謀論は何のためか

世に「陰謀論」と言はれるものがある。昨今この論者のうちで最も有名なのは馬渕睦夫・元駐ウクライナ大使であり、「ディープステート(ネオコン)」「ユダヤ金融資本」などの用語が出て来るのが特徴だ。

小欄はその方面に詳しくないので、さういふものが「存在しない」と断定するつもりはない。あるのかも知れないとも思ふ。だが、馬渕の文章を読むと、「思われてならない」「想像される」「ではないでしょうか」などの言葉が屡々出て来るので、現実描写としては客観性を欠くやうに思ふ。

抑々「陰謀」は、特に覇権主義国家においては珍しいものではなからう。米国の「オレンジ計画」「WGIP」も、旧ソ連のコミンテルンの暗躍も、中共による我が国国会議員の籠絡だつて「陰謀」と言へないことはない。

八年ほど前に、我が国の一世帯当たりのコメとパンの支出額が逆転したけれども、その淵源を辿れば、戦後の「MSA小麦協定」や「現物贈与の日米交換公文書」などの取り決めにより、学校給食用も含む大量の小麦を米国から買はねばならなくなつたことに行き着く。要するに我が国はアメリカの農産物の上得意とならされたのである。結果、僅か六十年ほどで、国民の主食が入れ変はるといふ世界に類例の無い現象が起きた。これを「商売上手」と言ふか「政略」と言ふか「陰謀」と言ふかは趣味の違ひだらう。だから、重要なのは陰謀の指摘ではなく、その議論からどのやうな展望を拓くか、或いはどのやうな具体的な政策提言に結び付けるかである。

馬渕に話を戻せば、氏は「デイープステートはコロナ・パンデミックを創出することによって世界統一を進めよう」としたが、「コロナ恐慌による経済破壊作戦」が行き詰まつたので「武力紛争による世界統一へと重点を移した」と言ふ。けれども、プーチンがさういふ「挑発に乗せられてウクライナに軍事侵攻することは考えられません」とした(『WiLL』四月号)。そして予想を外した侵攻後の五月号でも、「ウクライナ紛争」の鍵はネオコンだと主張する。侵攻ではなく「紛争」と書くところに「どつちもどつち論」が透けて見えはしないか。如何なる理由であれ、主権国家が主権国家を侵略したといふ重い事実から目を背けるのは間違ひだ。

仮にウクライナが北朝鮮に弾道ミサイルのエンジンや中共に軍事上の先端技術を提供して来た歴史があつたにしても(野田啓司『日本戦略研究フォーラム季報』九十二号)、清廉潔白な国などありはしない。虚々実々の駆け引きで世界は動いてゐる。だから、「陰謀」で世界を語るのは一面的な議論にしかならず、読者を裨益しないのではなからうか。(令和四年九月号)

吉田好克

吉田好克について 吉田好克は、神道・宗教・日本思想・歴史・政治・社会について、長年にわたり研究・教育・執筆を続ける論者です。 その関心の中心にあるのは、個々の時事問題そのものではありません。 日本とは何か。 日本人はいかに生きるべきか。 歴史や伝統を、現代にどう受け継いでいくのか。 そうした根源的な問いを、宗教、思想、歴史、社会のさまざまな角度から考え続けています。 論考では、福田恆存、江藤淳をはじめとする先人の思想や、国内外の文献を幅広く参照しながら、現代社会で当然のように語られている価値観や言説を改めて問い直します。 その姿勢は、特定のイデオロギーから現実を説明するのではなく、歴史、伝統、人間の営みという現実から、思想や制度を見つめ直すことにあります。 連続論考「蟷螂の斧」では、外国人労働者問題、戦後日本とキリスト教、原爆忌と平和思想、安全保障、靖国神社、保守思想、政治家論など、現代日本が直面する問題を幅広く取り上げています。 「蟷螂の斧」という名の通り、たとえ小さな力であっても、疑問を抱いた問題には自らの言葉で向き合う。 その文章には一貫して、日本の歴史と文化を次代へどうつなぐのかという問題意識があります。 本サイト「吉田好克.jp」では、「蟷螂の斧」をはじめ、これまでに執筆された論文、評論、寄稿、講義資料などを整理し、吉田好克の知的成果をデジタルアーカイブとして公開していきます。

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