鱓(ごまめ)の歯ぎしり

岸田政権では日本は持たぬ――政治家たる者、「暴力」を是認せよ

安倍晋三元総理が凶弾に斃れ、犯人と警察の不手際に暫くの間無念遣る方無い思ひにさせられた。返す返すも惜しい政治家を我々は失つたものである。

私は安倍氏の歴史観にも「加憲」案にも賛同できず、双方についてかなり厳しい批判を書き連ねた(拙著『続・言問ふ葦』高木書房)。その考へは今も変はらない。しかしながら、「アベノミクス」「クワッド」「自由で開かれたインド太平洋戦略」などで示した経済や外交の手腕は卓越してをり、私もまた賛辞を呈する者である。安倍氏以前にはほとんど無きに等しかつた「日本の政策」を推し進めた「まれに見る戦略家」(E・ルトワック)だつたと思ふからである。心からご冥福をお祈りすると共に、安倍氏が肝胆を砕いた「日本の政策」が腰砕けにならぬやうに願ふばかりである。

さて、現今我が国にとつての最重要の問題が国防であることは間違ひ無い。無防備国家ウクライナへのロシアの侵略を見て、多くの一般国民もさすがに憲法前文の性善説や九条では国の安全は守れぬことを悟つたやうに見える。しかし、喜んでばかりもゐられない。岸田政権自体が深刻な平和ボケの症状を示してゐるからだ。

八月四日、中共が史上初めて我が国のEEZ内に弾道ミサイルを着弾させたが、岸田首相は緊急記者会見も開かなければ、国家安全保障会議(NSC)も招集しなかつた。つまり、憲法第十三条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」に何の関心も持つてゐないことが分かる。かやうに足許の危機に鈍感な人間ほど、「核兵器の廃絶」などといふ白昼夢を披歴して憚らない(それがあり得るとしたら、核より強力な兵器が誕生したときであらう)。「唯一の被爆国」のやるべきことは、国民を二度と被爆させないための手段を講じることしかあるまい。

首相就任以来、岸田首相は支持率ばかりを気にする小心翼々たる宰相でしかない。誰が言つたか、「無策無敵は政治に非ず」である。しかし、派閥だけは大事にする。今次の内閣改造を見ても、あの林芳正を外務大臣として留任させた。中共に媚びる以外に何か目立つた「功績」が林にあつただらうか。ゼレンスキー大統領のリモート講演会では脚を前方に投げ出して不愉快さうな表情で椅子に踏ん反り返り、剰へ大きな欠伸をして見せた。この自己演出の様子をカメラが捉へてくれたので、さぞや満足だつただらう。だが、先般の東南アジア諸国連合の外相会議の席上、演説中に王毅外相とロシアのラブロフ外相に席を立たれ、その前日には日中外相会議を急遽破約され、林に中共との「太いパイプ」なんぞありはしないといふことが満天下に知れ渡つた。首相は新内閣を「有事に対応する〈政策断行内閣〉」と命名したが、聞いたこちらが恥づかしい。

また、時節柄最重要の防衛大臣には防衛省の内外で支持されてゐた岸信夫に替へて浜田靖一を据へた。前回の防衛大臣就任中、防衛費を抑へ込んだことで有名な御仁だ。海上自衛隊のソマリア沖派遣といふ功績もあるが、同時に、田母神俊雄航空幕僚長の論文を巡つて氏を更迭したり、首相も加盟してゐる「夫婦別氏制度を早期に実現する議員連盟」の会長も務めてゐたりする。国防とは、歴史観や文化の防衛も含むのだから、立ち位置が不安定で心配である。

今年の「全国戦没者追悼式」に目を転ずれば、岸田首相の式辞は歴代の首相のものを踏襲し、無難にまとめ上げたものに過ぎない。ウクライナ戦争勃発後初めての追悼式なので多少とも新味があるかと期待したが、「戦争の惨禍を二度と繰り返さない。この決然たる誓ひをこれからも貫いてまいります」といふ愚劣な常套句を使つてゐた。

本紙の昨年九月号にも書いたので恐縮であるが、何度でも言はねばならない。この常套句は安倍元首相も使つたが、英霊や一般戦没者への追悼の言葉とはなり得ぬといふことがどうして分からないのだらうか。「先の戦争」が「惨禍」を招き、それを「二度と繰り返さない」と言つてしまふと、その戦争は「悪」だつたといふことになり、悪い戦争なら、犠牲者は自業自得といふことになるではないか。それに、如何なる戦争にも惨禍が付き物なのだから、今後は侵略されても白旗を上げ、戦闘行為は行はないといふことにもなる。だが、ウクライナと同様に、我が国も侵略されれば戦はざるを得なくなる、即ち「戦争」をするのであり、自衛隊はそのために存在してゐる。首相が侵略戦争と自衛戦争とを区別せずに「不戦の誓ひ」を宣言する国――そんな間抜けな国で国民の国防意識が高まるはずがない(細田博之衆院議長の「日本国憲法の精神」は論外であり、尾辻秀久参院議長の式辞は全体があまりに幼稚で、「平和を守るために、力の限りを尽くします」が戦争を是とするのか否とするのか不明である)。

終戦の日のTVニュースでは、インタビューを受けた老若男女が、「戦争はしてはいけない」「戦争は悲惨だ」と十年一日の如く答へてゐる。日本中の追悼式典で多くの首長が同じ台詞を言ひ、産経新聞までも翌日の社会面で、七歳の少年から「戦争はいけない」との言葉を引き出してゐる。朝日や毎日は言ふまでもない。このやうなことの影響も決して小さなものではない。

最新の「社会実像データ」(本川裕)によれば、「もし戦争が起こつたら国のために戦ふか」といふ問ひに我が国で「はい」と答へたのが十三・二%(因みにウクライナは五十六・九%)、「いいえ」が四十八・六%である。占領軍によるWGIPの成果だ。我が国でこのやうな厭戦気分が蔓延してゐる以上、ウクライナのやうに祖国防衛のために一般国民が立ち上がるといふことが起きるだらうか。我が国にポーランドは無く、ミサイルなどが飛来して国内がパニック状態になつた場合、一部の国民が自衛隊に向かつて「戦争止めろ」と、戦闘の邪魔をする可能性さへあるのではないか。

一方、「ハドソン研究所」の村野将によれば、中共のミサイル戦力の増強は著しく、南西諸島はもとより西日本の主要な自衛隊と米軍基地の大半が「開戦と同時に一気に無力化されてしまう」可能性があるのだ(『外交』日本外務省、七十一号)。となると、日本が生き残るためには、自民党安全保障調査会の提言にあるやうに、「反撃能力」に「相手国の指揮統制機能への攻撃」を含ませ、実際には英国に倣つて、核ミサイルを搭載した潜水艦を常時運行させる抑止方法が現実的であらう(島田洋一「産経新聞」八月十六日付)。

ともあれ、「五年以内に」とか「二%」とか、悠長なことを言つてはゐられぬのである。「政治には暴力によってのみ解決できるような課題がある」(M・ウェーバー『職業としての政治』脇圭平訳、岩波文庫)と、肚を括ることができる宰相が今必要なのだ。マスメディアも「旧統一教会」程度の問題で大騒ぎをする暇があるのなら、国の存亡に係はる深刻な問題を国民に知らせるべきなのだ。〈了〉(敬称略)(令和四年九月号)

吉田好克

吉田好克について 吉田好克は、神道・宗教・日本思想・歴史・政治・社会について、長年にわたり研究・教育・執筆を続ける論者です。 その関心の中心にあるのは、個々の時事問題そのものではありません。 日本とは何か。 日本人はいかに生きるべきか。 歴史や伝統を、現代にどう受け継いでいくのか。 そうした根源的な問いを、宗教、思想、歴史、社会のさまざまな角度から考え続けています。 論考では、福田恆存、江藤淳をはじめとする先人の思想や、国内外の文献を幅広く参照しながら、現代社会で当然のように語られている価値観や言説を改めて問い直します。 その姿勢は、特定のイデオロギーから現実を説明するのではなく、歴史、伝統、人間の営みという現実から、思想や制度を見つめ直すことにあります。 連続論考「蟷螂の斧」では、外国人労働者問題、戦後日本とキリスト教、原爆忌と平和思想、安全保障、靖国神社、保守思想、政治家論など、現代日本が直面する問題を幅広く取り上げています。 「蟷螂の斧」という名の通り、たとえ小さな力であっても、疑問を抱いた問題には自らの言葉で向き合う。 その文章には一貫して、日本の歴史と文化を次代へどうつなぐのかという問題意識があります。 本サイト「吉田好克.jp」では、「蟷螂の斧」をはじめ、これまでに執筆された論文、評論、寄稿、講義資料などを整理し、吉田好克の知的成果をデジタルアーカイブとして公開していきます。

この論考は役に立ちましたか?

参考になりましたら、下のボタンで教えてください。

コメント

この記事へのコメントはありません。

関連論考

新着論考
会員限定
おすすめ
PAGE TOP
ログイン 会員登録
会員登録