梓弓

第30回 男たちの嫉妬

小欄はこれまで、篠田英朗(東京外大教授)、有馬哲夫(早大教授)、池内恵(東大教授)を一流の研究者と思つてゐた。篠田が東大憲法学を徹底的に批判した『憲法学の病』には感激したし、有馬が文献を博捜してWGIPの問題を剔抉した『日本人はなぜ自虐的になったのか』には多くを学んだ。また、池内も『イスラーム国の衝撃』では、イスラム思想を「西洋近代の限界を克服するもの」とする我が国のイスラム研究者たちの謬説を斥けてゐたからである。

しかしながら、特にX(旧ツイッター)を舞台とする、この三人のイスラム研究者飯山陽への非難は極めて病的なもので、人品骨柄を疑はせるのに十分だ。飯山の言説を学問的に具体的に批判するのなら良いのだが、ただただ子供染みた罵詈雑言を喚き散らすだけなので議論にもならず、それを読む者を聊かも裨益しない。

小欄はXには無縁なので自ら確認したことは無いが、飯山は常に相手のポスト(投稿)画面をそのまま示してゐるので捏造といふことは無からう。

動画を一々調べ直すのは億劫なので以下、記憶を頼りに言へば、篠田は何があつたのか知らないが突如として、「日本保守党は飯山との関係を明らかにすべきだ」と投稿したが、なぜさうすべきなのかは一切不明で、さらに、飯山に「クソリプ」(相手を誹謗する返信投稿)をしようと誰彼の区別無く呼び掛け、それが炎上すると、反響調査目的の「釣りメール」だと言ひ逃れをした。一方で、イスラエルのハマスへの報復は「快楽殺人だと世界の圧倒的多数者が見做してゐる」旨のおよそ根拠の無い馬鹿げた投稿をした。これがあの『憲法学の病』の著者なのかと唖然とするほかはない。

池内も何か痛い所を突かれたのか、飯山に対して意味不明な悪口雑言を書き連ね、最も多い日には一日に四百二十三回もポストしてゐるといふ事実がある。東大教授の職はよほど暇なのだらう。

最も不可解なのは有馬である。「坊主憎けりや袈裟まで」の諺通りで、飯山と親しい百田尚樹までを標的にし、過日、癌を公表した百田を揶揄する投稿をした。「あれ?ガンで引退すんじゃなかったの?」と。これも我が目を疑ふやうな文言だ。

病理学の対象となり得る彼らの発狂ぶりの理由は、やはり「嫉妬」ではないかと思はれる。嫉妬とは『新明解国語辞典(第五版)』によれば、「それまで抱いていた優越感・愛情・独占感が突如他にしのがれるようになったことに気付いた時に感じる、ねたみの気持ち」である。

小欄は、この種の負の感情を如何に肚(はら)に抑へ込めるかが人生を明るく楽しく生きる要諦であると信じる者である。(追記参照)

【追記】

右は「時事評論石川」令和六年二月二十日号に掲載予定の原稿として書いたのだが、右の三人(の誰か)と発行元である金沢工業大学との人的禁忌に触れたのか、編集部より「掲載は見合わせたい。理由は武士の情けと思って…」と連絡があり、急なことだつたので編集部は既出の「第二十八回あらまほしき保守」を再掲した。真相は今なほ不明である。

吉田好克

吉田好克について 吉田好克は、神道・宗教・日本思想・歴史・政治・社会について、長年にわたり研究・教育・執筆を続ける論者です。 その関心の中心にあるのは、個々の時事問題そのものではありません。 日本とは何か。 日本人はいかに生きるべきか。 歴史や伝統を、現代にどう受け継いでいくのか。 そうした根源的な問いを、宗教、思想、歴史、社会のさまざまな角度から考え続けています。 論考では、福田恆存、江藤淳をはじめとする先人の思想や、国内外の文献を幅広く参照しながら、現代社会で当然のように語られている価値観や言説を改めて問い直します。 その姿勢は、特定のイデオロギーから現実を説明するのではなく、歴史、伝統、人間の営みという現実から、思想や制度を見つめ直すことにあります。 連続論考「蟷螂の斧」では、外国人労働者問題、戦後日本とキリスト教、原爆忌と平和思想、安全保障、靖国神社、保守思想、政治家論など、現代日本が直面する問題を幅広く取り上げています。 「蟷螂の斧」という名の通り、たとえ小さな力であっても、疑問を抱いた問題には自らの言葉で向き合う。 その文章には一貫して、日本の歴史と文化を次代へどうつなぐのかという問題意識があります。 本サイト「吉田好克.jp」では、「蟷螂の斧」をはじめ、これまでに執筆された論文、評論、寄稿、講義資料などを整理し、吉田好克の知的成果をデジタルアーカイブとして公開していきます。

この論考は役に立ちましたか?

参考になりましたら、下のボタンで教えてください。

関連論考

新着論考
会員限定
おすすめ
PAGE TOP
ログイン 会員登録
会員登録