選挙がある以上、政治家が選挙民の歓心を買はうとして美辞麗句を弄することはある程度までは已むを得ない。しかし、とりわけ菅、岸田、そして石破など歴代首相は巧言令色の度が過ぎるのではなからうか。
終戦記念日の式辞では、「戦争の惨禍を繰り返さない」と不戦を誓ふのが常態化してゐる。「日本兵家族会」の「戦争はしません・白旗を掲げましょう・話し合い和解しましょう」といふスローガンとどこが違ふのか。
菅は同式辞で「世界が直面する様々な課題の解決に全力で取り組んで参ります」と大風呂敷を広げたが、ならば、せめて中共によるウイグル侵略に対して何か行動を起こすべきであつたらうに。
岸田は拉致問題について「一瞬たりとも無駄にせず」とか「政府を挙げて全力で」とか「自分の手で解決」とか、聴いてゐるこちらが鼻白むやうな言葉を被害者ご家族の前でも何度も使つた。それでゐて公約を果たせず、それについて真摯な詫びの言葉も無かつた。尤も、詫びたところで紋切型の「断腸の思ひ」か「痛恨の極み」であつただらうが。
拉致問題と言へば、石破は首相就任後に被害者家族会と面会し、「皆さんの思ひを政府と共有させて戴き、最善を尽くす」としたが、初代拉致議連会長を務めてゐながら、その後救出活動から一線を画すやうにブルーリボンバッヂを着用せず、そのくせ総裁選の最中に俄かに着用した男である。令色である上に厚顔だ。
だが、どうして揃ひも揃つてかうも偽善的な言辞を弄して恥ぢないのか。
これは小欄の推測だが、二〇一五年に国連で採択されたSDGSに影響されてゐるからではないか。あれはまさに偽善と奸計から成る壮大な嘘である。モットーは「誰一人取り残さない(leave no one behind)」で、これ自体が偽善極まる。十七の大目標の下に四つの枠組みがあり、小項目は合計百六十九もある。問題を総花的に並べただけでいづれの国も全部を達成する気は無い。国連も環境・気候問題など非科学的な言説を垂れ流してゐるし、それを知りながら、多くの国や企業がSDGSを称揚するのは、国際倫理の優等生を気取りたいからで、何のことは無い、国益か企業利益のためだ。経営者も政治家も大きな偽善に慣れてしまふと小さな偽善には精神が麻痺してしまふのではないか。
ドストエフスキーは偽善とは何かと問うて、「実生活では不道徳のままでありたいが、せめて精神的には美徳や善行と縁を切りたくない人間にとつて、測り知れないほどの慰めとなる思想」だと書いてゐる(『作家の日記』小沼文彦訳の抄録)。これは洋の東西南北を問はないやうだ。(令和六年十二月号)














