前回、石破茂前首相の「戦後八十年所感」を、対外諸情勢に触れぬ独り善がりの史観(人によつてはこれを「独り相撲史観」と呼ぶ)として批判したが、実はもう一点、どうしても反論したいことがある。
それは、米国との開戦について、「状況が行き詰まる場合には、成功の可能性が低く、高リスクであっても、勇ましい声、大胆な解決策が受け入れられがち」であるといふ一般論の後に、永野修身海軍軍令部総長の言葉として知られる「戦わざれば亡国と政府は判断されたが、戦うもまた亡国につながるやもしれぬ。しかし、戦わずして国亡(ほろ)びた場合は魂まで失った真の亡国である」を引用して、これを「冷静で合理的な判断よりも精神的・情緒的な判断が重視されてしまうことにより、国の進むべき進路を誤った」言葉の例と見てゐることである。
言ふまでもなく、「精神的・情緒的判断」だけで開戦するのは馬鹿げてゐる。ただ、石破の言葉は半面の真実でしかなく、「精神的・情緒的判断」によつて自分の政策に肉付けすることのなかつた如何にも石破の言ひさうなことだと思ふ。「EQ(心の知能指数)が低い」と山上信吾(元駐オーストラリア大使)に評されたのも尤もなことだと思ふ(『月刊WiLL』十月号)。
先づは、石破が引用した個所の直後に続く永野の言葉を引く。「しかして、最後の一兵まで戦うことによってのみ、死中に活路を見出しうるであろう。戦ってよしんば勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残れば、我らの子孫は再起三起するであろう。そして、いったん戦争と決せられた場合、我ら軍人はただただ大命一下戦いに赴くのみである」(亀井宏「永野修身」『歴史群像①』学研)。
亀井によれば、永野はこの時同時に、軍令部中堅層が開戦に向けて血気に逸るのを見て、皇軍同士の争ひによる「国内の軍事革命」を恐れてゐたのである。もし革命により国内の内紛が起き、その後に対米決戦を決意するとすれば、一層重大な局面を迎へることになる。だからこそ永野は、「日本人すべてが結束して敵に当たり、先手を取って出来る限り早く講和に持ち込む」といふ戦略を考へた。そして、「陸海軍の首脳の誰もが同じようなことを考えていたに違いない」と亀井は指摘する。もしもさうであるならば、永野はただ単に「精神的・情緒的判断」を下しただけではなかつたといふことになる――十分に合理的であつたとまでは言へないにしても。
「日本精神」とは別に特殊なものではなく、要するに「祖国の領土と同胞・家族・文化を護る」といつた愛国と郷土愛の精神にほかならない。この精神は決して軽々に否定するべきものではない。
一朝有事の際に命を懸けて直接武器を取るのは自衛官諸氏であるが、我々もまた銃後の国民としてなすべきことをせねばならない。が、その時、我々一般国民の動機となるのは、祖国愛、郷土愛、同胞愛といつた「精神的・情緒的」なものである。職業的軍人である自衛官諸氏にしても、それらがなくては死力を尽くすことはできないであらう。ウクライナがロシアとの戦争で見せたのは、一般国民の護国の精神以外の何であらうか。外国在住の多くのウクライナ人も武器を取るために帰国した。これがあるからこそ、他国も支援してくれるのだし、軍事大国ロシアを相手に三年半以上継戦できてゐるのだと思ふ。
翻つて、我が国はどうであらうか。他国の侵略に対して立ち向かふかを尋ねる数々のアンケートが既に示してゐるやうに、残念ながら国家意識の欠如した極めて浅薄な思考の蔓延が認められる。一例を挙げる。二年前の夏にNHKが実施した「Z世代(十三歳から二十九歳)と戦争三千人アンケート」の回答は以下の通りだ。「もしも戦争に日本が巻き込まれたならどうするか」といふ質問に、「戦争に参加せず、戦争反対の声を上げる」三十六%、「戦争に参加せず、国外に逃げる」二十一%、「戦争に参加しないが、支持する活動に参加する」十%、「戦争に参加する」五%である(岩田清文『台湾有事のリアル』明成社より)。この種のアンケートで「戦ふ」との回答はたいてい十%台であり、世界最低であるのは周知の事実である。
「国外に逃げる」なんぞは戦争について何も考へたことのない人間の白昼夢に過ぎない。「逃げる」と言つてどこに「逃げる」つもりか。制空権・制海権をへば国外脱出は不可能だ。我が国にはウクライナにとつてのポーランドのやうな地続きの国はない。そのポーランドだつて、米国からの亡命の打診を断り「ウクライナに残つて戦ふ」と明言したゼレンスキー大統領をはじめウクライナ国民が戦ふ姿勢を見せたからこその支援である。
先日の衆院予算員会では、台湾有事の際、場合によつては「存立危機事態」と認定する、即ち武力行使も辞さない旨を含意する高市早苗総理の発言に対して、立憲民主党の大串博志はその「取り消し」を迫つた。国連憲章でも自衛隊法でも(解釈次第では憲法でも)認められてゐることを、発言の段階で封ずるといふ愚挙に出たわけである。集団的自衛権についても戦争抑止力についても一度も考へたことがないであらうこの御仁が当選七回と聞くと暗澹たる気分になる。
そんな我が国であるから、いざ開戦となつた時、福島瑞穂や玉川徹タイプの所謂「空想的平和主義者」(私はこれを最近では「幼児性平和主義者」と呼んでゐる)の一団が、国の存亡を懸けて戦ふ自衛隊員に向けて「戦争反対!」だの「人殺しはやめろ!」だのといふプラカードを持つて罵声を浴びせる可能性は十分にあり得る。Z世代の三十六%のみならず、「九条を守る会」などの老人たちも含めて、相当数に上るのではないか。「リベラリズム」の成れの果てであらう。そして、中共はこのやうな日本人の幼稚なメンタリティを知悉してゐるから、傲慢無礼極まりない言動で我が国を侮辱し翻弄し恫喝し、国益を得ようとしてゐるのだ。
では、日本人は戦後ずつとそのやうなメンタリティだつたのかと言ふと、必ずしもさうではない。
例へば、極東軍事裁判(東京裁判)によつて「戦犯」とされた一二二四名もの日本人(及び戦時中は日本であつた朝鮮人・台湾人も含む)が、終戦後七年も経つのに国内外の刑務所に拘禁されたままになつてゐて、これを強く疑問視した国民は昭和二十七年七月から全国規模で「戦争受刑者の助命、減刑、内地送還」の嘆願運動を行ひ、四千万筆の署名が集まつたと言はれてゐる。これを受けて、当時の吉田茂自由党政権は全「戦犯」の釈放、減刑を各国に要請した。
そしてそれは、昭和二十八年八月三日、自由党、改進党、社会党などが共同提案として、「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」を国会で可決することに繋がつた。「国民の悲願である戦争犯罪による受刑者の全面赦免を見るに至らないことは、もはや国民の感情に堪えがたいものがあり」云々と決議文にある。さらには、同年、A級「戦犯」を含め刑死した受刑者の遺族への遺族年金の支給も決めた。それもそのはず、「占領軍が東京入りしたとき、日本人のあいだに戦争贖罪意識は全くと言っていいほど存在しなかった。(略)日本の敗北は単に産業と科学の劣勢と原爆のゆえであるという信念が行き渡っていた」と昭和二十年十月・十一月のGHQの月報に書かれてゐるのである(高橋史朗『日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと』致知出版社)。右の嘆願運動や決議は、占領軍の横暴に「否」を突きつけたと言へるであらう。
それにこれも付け加へよう。明治以来の「紀元節」は戦後GHQにより「祝日法」から削除されたのであるが、昭和四十一年、復活を希望する国民の熱意が実り、「建国記念の日」として新たに制定されたのである。
右に示した一連の「否」は「日本精神」あるがゆゑであつて、それこそ永野が言つた、「日本精神さえ残れば、我らの子孫は再起三起するであろう」といふ言葉が――戦争による敵討ちではないが――現実となつたものと言へるのではなからうか。無論、「不平等条約」(加瀬英明)のやうな憲法を後生大事に戴いたために、政治的には極めて幼稚で滑稽な国家に成り下がつてゐる。けれども、あの徹底的に敗北した戦争の後、皇室伝統を護り切り、あれだけの経済成長を遂げたことの陰には、ただ勤勉といふにとどまらない何か精神的な「紐帯」が日本人にあつたはずなのである。岸田秀は「日本の経済的繁栄の理由は、砲火を浴びて死んだ兵隊たちに対して国民が感じた罪悪感である」と書いてゐる(『「悲しみ」という感情』新書館)。この観察は正しいのではないか。要するに、生き残つた人間の責務といふものを多かれ少なかれ感じてゐた同胞が当時は一定数ゐたのではなかつたか。それゆゑ、今日猖獗を極める「リベラリズム」的思考一辺倒とはならずに一定の抑制が働いてゐたやうに思はれる。そして、その種の抑制が働けば、これからでも「精神的紐帯」を編み上げることができるのではなからうか。
先月十八日に、NHKテレビで「未解決事件 北朝鮮拉致問題」といふドキュメンタリー番組が放映された。その中で、元警察庁外事課長(のち、警視総監)の米村敏朗が「一国の力というのは決して軍事力ではない。大事なのは国民の団結だ。しかし我々はそれを作るのに失敗した」と反省の弁を語つてゐた。また、今月三日に開催された拉致問題解決のための「国民大集会」において、高市早苗新総理も「日本国民の一致団結」の重要性を強調してゐた。
無論、それは難しいことである。「近代の毒」とも言へるリベラリズムを知つてしまつた我々は知らない時代には戻れない。しかし、処方箋はある。「今この時代に必要なのは、もう一度自分自身に敬意を払うことである。より良い自己を新たに養い、共同体の文化の育成や弱者へのケア、自己犠牲(略)などを通して、他者の運命に惜しみなく投資することからより良い習慣が生まれる。そして、そういった中から、いつしかリベラリズムの破綻しかけたプロジェクトより優れた理論が生まれるはずである」(パトリック・J・デニーン『リベラリズムはなぜ失敗したか』角敦子訳、原書房)。
これも難しいことだが、努力目標にはなり得るし、思へば我々はそのやうに生きたご先祖様の子孫ではないか。例へば、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の証言もある。「人生における喜びが自己周辺の幸福に左右される以上、自己自身を辛抱強い、利己的でない人間に仕上げることが肝心だ、という真理がこれほど広汎に理解されているためしは、日本国民をおいて他にない」(「日本人の微笑」平川祐弘訳、講談社学術文庫)。八雲のやうな慧眼の作家によつてこのやうに評された日本がかつて確かにあり、そこには我々の家系を二代、三代と遡つた先祖が確かにゐたのである。
高市政権の誕生を機縁として、幼稚なリベラリズムに淫した日本を立て直さねばならない。先づは「砲火を浴びて死んだ兵隊たちに対して」申し訳ないと思ふところから始めたいものだ。
最後に、石原慎太郎が国会で披露して有名になつた「ある戦争未亡人の絶唱」を引用する。
「かくばかり醜き国になりたれば捧げし人のただに惜しまる」〈了〉(敬称略)
(令和七年十一月十六日)















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