鱓(ごまめ)の歯ぎしり

令和四年「腹立ち三題噺」――マスメディアのご都合主義――奈良県警、岸田政権、SDGSに関連して

今年、事あるごとに痛感したのはマスメディアの救ひ難い程のご都合主義であつた。これを三つのトピックを通して以下に論じたい。

安倍晋三元総理殺害事件における奈良県警の警備体制の杜撰には憤懣遣る方無い思ひをさせられた。さらに、それとの関連は不明ながら、その後の奈良県警の一連の動きはまさに奇々怪々と言ふべきものであつた。先づは、致命傷に関する県警の発表が救命に当たつた医師たちのものと大きく異なつてゐたこと。遺体に残留してゐなかつた銃弾を事件現場で捜索したのが事件から五日後といふ不思議。また、通常なら犯人の口から出た犯行動機などは軽々に発表しないのだが、犯行当日のうちに「旧統一教会」の名称が報道されて、安倍氏が教会と深い関係にあるかのやうな憶説が流布し、倒閣(のフリ)を生き甲斐とする野党第一党は自民党と旧統一教会との関係を糾弾した。マスメディアもそれと歩調を合はせて大々的に報道し続けたことにより、安倍氏暗殺の真相を究明しようといふ報道が見られなくなつた。犯人の母親が旧統一教会に莫大な献金をして、それが家族崩壊に繋がつたとしても、最初の献金は平成三年、最後は同十一年であり、二十年も三十年も前の恨みを教会幹部ではなく安倍氏殺害で晴らすといふのはおよそ常識では考へられないことだが、マスメディアでは問題視されなかつた。

You Tubeの保守系番組では高田純札幌医科大名誉教授が画像解析や音響学なども取り入れ、微に入り細を穿つた実証を積み重ねて、例へば容疑者の銃声は空砲だつた、安倍氏の喉の右下に銃創の出来たタイミングなどから見て容疑者の銃弾ではないなどの驚くべき結論――私は非常に説得力があると見てゐる――を導き出してゐるのに、マスメディアは全く無視してゐる。そして奈良地方検察庁は十一月十七日に、容疑者の鑑定留置を約二カ月延期するとしたが、合理的理由の説明が無く、如何にも不自然で何かの魂胆を感じさせるものであるが、これもマスメディアは特に問題にしなかつた。

岸田内閣は組閣以来ずつと迷走を続けたが、初期の頃はマスメディアが批判を控へてゐるやうに見受けられた。思へば、二月の北京オリンピックに対し「外交ボイコット」もできずウイグルでのジェノサイドに対しても何の措置も取れなかつたが、批判の嵐とはならなかつた。七月八日以降は迷走ぶりが一層ひどくなり、国葬儀についても旧統一教会問題でも毅然とした姿勢を示せず、八月には中共にEEZ内に弾道ミサイルを撃ち込まれ、「日本のEEZなぞ存在しない」とまで侮られてもNSC(国家安全保障会議)さへ開催しないといふ為体(ていたらく)だつた。

十一月十七日、岸田首相は習近平とバンコクで日中首脳会談に臨んだ。尖閣、ミサイル問題などに「深刻な懸念」といふ言葉を使つたことで、一部で称賛の声も聞こえるが、しかし実際は、「日本が中国に抱く懸念が何一つ解消されなかった」(「産経」十九日付)と見るのが正解である。そもそも「懸念」は外交用語では八段階あるうちの最も弱い表現に過ぎない(「深刻な」を付けても七番目。因みに、四番目の「遺憾」よりも弱い)。最も強いのが「断固非難」なのだが、本来使ふべきはこの言葉ではなかつたか。

十六日に首相は同行記者団に「主張すべきは主張して責任ある行動を求めながらも、協力すべき点では協力する。建設的かつ安定的な日中関係を構築していく」と強調した由だが、何のことは無い、この言葉はその前日に茂木幹事長が役員連絡会後の記者会見で使つてゐた表現と、さらにはG7外相サミットでの林外相の発言(四日)とほとんど全く同じものなのである。察するに、政府は外務省と(もしかすると中共とも)事前に打ち合はせて、前半で国内の歓心を買ひ、後半では中共に阿るこの作文を用意してゐたのではないか。最初から論難する気も無ければ国益を賭けた権謀術数も無く、それは中共側からの招請で林外相が同席したことでも知れるのである。その林氏は事もあらうに、着席前に王毅に右手で敬礼のやうな仕草をしたが、そんなことではあの不徳義な国家に一矢を報いることさへできまい。結果的にミサイルの謝罪も引き出せず、一致したのは環境問題を含む経済協力のみといふ中共だけが利益を得る無様な会談となつた。然るに、「朝日」の社説は、緊張緩和の点で「一定の前進」だの、「地道に信頼関係を築く外交」だのと相変はらず寝惚けたことを書いた(十九日)。

本紙九月号でも引用したが、ハドソン研究所の村野将氏によれば、南西諸島から西日本にかけて自衛隊と米軍基地の大半が「開戦と同時に無力化されてしまう」ほど、中共のミサイル戦力は増強されてゐるのだ(『外交』日本外務省、七十一号)。また、トランプ政権で国防戦略を担当した元国防副次官補エルブリッジ・コルビーは「相手の攻撃を阻む拒否的防衛」、つまり敵基地先制攻撃を構築することの大事を説き、そのための「時間は限られている」と警告してゐる(『ウェッジ』十一月号)。このやうな我が国の危機的状況をマスメディアは全く伝へようとしないし、政府も識者会議も国防費について、未だに五年以内二%増などと呑気な議論をしてゐる始末だ。年末に発表予定の「防衛三文書」の改訂には期待したいのだが、十一月二十五日に始まつた所謂「反撃能力(敵基地攻撃能力)」についての自民・公明協議を見る限り、あまり期待できさうに無い。公明党は「相手の武力攻撃の開始が大前提」などと、この期に及んで間の抜けたことを言つてゐるのである。「専守防衛」なんぞ我が国土を火の海にされることを意味してゐるのであり、やられてからではやり返せない、といふ厳しい現実を見るべきなのだ。

マスメディアが流すSDGS関連の情報――特にNHKのそれ――もひどいものだ。周知の如く、語頭のSはサステイナブル(持続可能な)のことだが、我が国の存続や持続的繁栄といふ大問題には――小池都知事と同様――一向に関心を示さない。きちんとした科学的証拠を備へた論文を読むと、世に流布してゐるSDGS言説の「トンデモ」ぶりが分かる。最大の誤解は、地球温暖化が実は起きてをらず、従つて人間によるCO2排出量との相関は無い、と言ふより、相関を問ふことが間違ひだといふこと、そして何よりCO2悪玉論である。「CO2の濃度が十分だからこそ植物は栄え、ひいてはヒトを含めた生物界も豊かさを保つ(一五〇ppmを切れば植物は育たず、全生物が滅びる)」のである(渡辺正東大名誉教授『「気候変動・脱炭素」14のウソ』丸善出版)。従つて、「脱炭素」を目的とした総ての試みは無駄であるのみならず、太陽光発電や風力発電はむしろ環境に有害なのだ(日本は「地球温暖化対策費」で年五兆円をドブに捨ててゐるが、この額は防衛費に匹敵する)。では、なぜ世界中で「トンデモ」説が流布したのか。要するに、国連と環境関連の科学者たちの利権問題が核心にあり、マスメディアもその利権が絡むので報道しないからだが、詳細は同書を参照されたい。

このやうに見て来ると、政治家の無為無策も勿論問題なのだが、それを突けぬマスメディアの劣化や無能が危険水域に達してゐると言へるのではないか。所謂「正常性バイアス」が深く食ひ込んでをり、見たいものしか見ない、耳障りなものには耳を塞ぐといふご都合主義に相当程度侵され、しかもこのご都合主義は怯懦による思考停止を伴ふから、ポピュリズムといふ「体制順応主義」へと知らず知らずのうちに変質してしまつたのであらう。これは我が国にとつて非常に不幸なことである。〈了〉(令和四年十二月号)

吉田好克

吉田好克について 吉田好克は、神道・宗教・日本思想・歴史・政治・社会について、長年にわたり研究・教育・執筆を続ける論者です。 その関心の中心にあるのは、個々の時事問題そのものではありません。 日本とは何か。 日本人はいかに生きるべきか。 歴史や伝統を、現代にどう受け継いでいくのか。 そうした根源的な問いを、宗教、思想、歴史、社会のさまざまな角度から考え続けています。 論考では、福田恆存、江藤淳をはじめとする先人の思想や、国内外の文献を幅広く参照しながら、現代社会で当然のように語られている価値観や言説を改めて問い直します。 その姿勢は、特定のイデオロギーから現実を説明するのではなく、歴史、伝統、人間の営みという現実から、思想や制度を見つめ直すことにあります。 連続論考「蟷螂の斧」では、外国人労働者問題、戦後日本とキリスト教、原爆忌と平和思想、安全保障、靖国神社、保守思想、政治家論など、現代日本が直面する問題を幅広く取り上げています。 「蟷螂の斧」という名の通り、たとえ小さな力であっても、疑問を抱いた問題には自らの言葉で向き合う。 その文章には一貫して、日本の歴史と文化を次代へどうつなぐのかという問題意識があります。 本サイト「吉田好克.jp」では、「蟷螂の斧」をはじめ、これまでに執筆された論文、評論、寄稿、講義資料などを整理し、吉田好克の知的成果をデジタルアーカイブとして公開していきます。

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