昨今、「ネット民」と呼ばれる若者たちのはうが「情弱」の高齢世代よりもマシだと言はれてゐる。小欄もそのやうに感じて来たのだが、過日、必ずしもさうではない現実に出くはした。
事の発端は例の総務省の「行政文書」を基に立民の小西洋之参議員が高市早苗経済安保担当相を論難したことだ。
たまたまTV中継を見てゐて、高市女史の落着き払つた態度から――相手が小西でもあり――彼女を信じた。しかし一応は調べようと思ひ、総務省のHPで当該文書を一読、論評に値しない代物だと感じた。
ところが、小欄が利用するポータルサイトでは、このニュースの掲載直後からコメントが殺到してゐて、初めてのことだつたが興味本位で覗いてみた。そして「常識」の無さに仰天した。
その時点で百本近く投稿されてゐた無記名コメントのうち、何とほぼ九割近くのコメントが高市批判だつたのである。ただし、短く意味不明なコメントが多く、「さよなら」を三回繰り返しただけのものとか「統一教会、日本会議」とか意味不明なものがあり、一方では、「安倍の腰巾着」など所謂「便所の落書き」のやうなものが多かつた。
知的水準のあまりの低さと下品を窘めようと思ひ、小欄は初めて投稿することにした。即ち、深く考へずに高市批判をしてゐる人は次のことを考へて欲しいとして、①行政文書だから正しいと考へるのはナイーブに過ぎる。しかもこれは「日時不詳」など伝聞と思しきものや人名の誤記が含まれた怪しい文書である。②抑々、首相と大臣が放送法に関して電話で何かを話したとして、そのことに何の問題があるのか、といふ二点を投稿したのである。すると、暇人といふのはゐるもので、すぐに反論が寄せられた。①については高橋洋一の真似だ、といふやうな批判。②については、「放送法の根幹を揺るがす話を普通の議員ならともかく大臣級の議員がやるのは問題だ」といふ主旨であつた。全十一章百九十三条まである放送法の「根幹」なるものが何であるか不明だが、これでは思想・表現の自由が大臣には無いことになる。この投稿者はある程度文字数を使用し、多少の知性は感じられたけれども、あまりに馬鹿馬鹿しいので再反論はしなかつた。
事程左様に高市批判のコメントは酷かつた。「日刊ゲンダイ」のニュースが載ることの多いそのサイト独特の現象かも知れないが、ともあれ、どんな媒体に親しんだところで、やはり「常識」が欠如したままでは誤るといふことであらうか。遅まきながら、「ネット民」にもピンからキリまでゐるといふことを学んだ次第である。(令和五年四月号)














