改革派が先に「敵」を発見して攻撃し、保守派はそれを見て初めて自分が保守派であることに気付く、だから保守派は改革派・進歩派に対して「つねに後手を引く」ことになると福田恆存は書いた(「私の保守主義観」昭和三十四年)。
なるほどその通りだと、「夫婦別氏制度」の問題に接して改めて思つた。左翼リベラルは「夫婦同姓」といふ敵を見出し攻撃する。小欄なんぞはそんなことが問題になるとはつゆ思はなかつたから、やはり「後手を引く」こととなつた。
小欄はこの問題を人前で話さねばならなくなり、別氏推進派の主張を幾つか読んで見たが、何一つ納得できなかつた。所謂「苗字」が変はることで不利益を被るといふのは大学などの女性研究者のことを考へれば理解できるが、その類の問題は旧姓を通称として使へば解決できよう。氏を変へると「アイデンティティ」が無くなるといふ主張もある。しかし、「アイデンティティ」とは本来「変化の中にあっても変わらない何ものか」(『哲学・思想事典』岩波書店)であると同時に、他者との関係がアイデンティティの核となることもある。だから、内閣府の調査によれば、「相手との一体感」を感じ「新たな出発」のやうに感じる(た)と肯定する回答が七割を超えるのである。
夫婦同姓は「国際的には通用しない」と野田聖子は駄法螺を吹くが、欧米の首脳夫妻はほとんどが同姓である。そして今回、何より驚いたのは、内閣府が恣意的に世論操作をしてゐることだ。
本来、別氏制度導入に賛成なのか反対なのか二者択一の設問とするべきところに、「同姓であるべきだが、旧姓を通称として使える法律改正は構はない」といふ位相の異なる問ひを挿入して回答を分散させてゐる。だから、一見すると賛成が四十二・五%、反対が二十九・三%に見えるのだが、右の意見は反対に算入するべきで、さうなると、反対派は五十三・七%となり、平成六年の総理府の調査結果(五十三・四%)とほとんど変はらない。
調べてみると、法務省の関係小委員会が平成三年に議論を始め、僅か三年で別氏導入の方針を決めてゐる。二宮周平や福島瑞穂のやうな輩が法務省や内閣府にも大勢ゐるのだらう。
別氏推進派は福島の言ふ「ライフスタイルの自己決定権」とやらを金科玉条としてゐて、「他者加害」が無ければ何でもありなのだ。伝統や社会規範や倫理など、人間を人間たらしめてゐるものを否定する「破壊衝動」に囚はれてゐるやうにも見える。
無論、自由は大事だ。しかし、人間は一定の不自由や宿命を受け入れることで初めて自由になれる存在だ。が、そんな高級なことは彼らには理解できないであらう。(令和三年七月号)














