自民党の総裁選に強い関心を寄せたのは久しぶりのことである。まさに内憂外患、国難が次々と降りかかる時代。何としても高市早苗に当選して欲しいと思つたからであつた。
高市は立候補に当たり、先づ、日本の「領土・領海・領空・資源」「主権と名誉」を守ると宣言した。この政治家としての最重要責務を冒頭でこれほど歯切れ良く宣言した候補は記憶に無い。言葉遣ひも概ね適切であり、為にするオールド・メディアの質問にもおほらかに答へ、各種討論会でも最も明確に回答してゐた。
それにしても、候補四人中三人までが保守派とは言へないところに、自民党の病巣が表れてゐる。
「夫婦別氏は国際的に通用しない」などと虚言癖のある野田聖子は論外だが、河野太郎もまた、靖國参拝問題で不見識を露呈した。中国で展開してゐる日本企業に迷惑が掛かるといふ論法は問題の摩り替へであり、「参拝を外交問題にするべきではない」との高市の正論に反論できなかつた。また、王毅と異様な握手をしてゐたことが発覚。左手を後ろに回し、深く腰を折り曲げた写真で、河野の対中外交における卑屈を如実に写し取つてゐた。さらにまた、選挙戦終盤では、河野家の同族会社が中共から特別待遇を受けてゐることが報じられて、大きな失点となつたのは欣快の至りであつた。河野だけは総裁にしてはならないからだ。
結局、決選投票の軍配は岸田文雄に上がつたのだが、岸田は岸田で主義主張が弱く、はつきりしない発言が多かつた。当選後最初の会見の中で、「特技は人の話をしつかり聴くこと」と、生徒会の会長ではあるまいし、如何にも「決断できない男」の面目躍如であつた。
平成二十七年十二月、外務大臣だつた岸田は韓国に渡り、あの「日韓合意」を結び、謝罪と共に十億円の支払ひを約束した。その結果がどうなつたかは言ふまでもない。菅前首相もさうだつたが、岸田新総裁も総じて覇気と勇気が乏しい。
M・ヴェーバーの言ふやうに、政治家たる者は「政治には(略)暴力によってのみ解決できるような課題がある」といふことを深いところで理解してゐなければならない(『職業としての政治』脇圭平訳、岩波文庫)。そこへ行くと、高市は先制攻撃論者であり、頼もしい。
しかし、残念ながら岸田、河野の後塵を拝した。しかも全国の自民党員は河野に多くの票を入れたのだ。これはほとんど「事件」である。
「不都合な真実」をしばしば隠蔽するマスメディアによる影響も問題だが、やはり選挙民の民度がそれ相応の政治家を選ぶといふことだらう。「自民党員」がこれでは真当な国への道程はまだまだ遠いと言はざるを得ない。(令和三年十月号)














